牧師:猪坂 登(いさか のぼる)

1960(昭和35)年1月 高知県に生まれる

昭和55年 クリスチャンとしていただく

昭和58年 主からの召しにより、自衛隊を除隊し、献身

現在、岩国聖書宣教教会にて牧会(副業としてトラックドライバー)


                          証し(救いから献身までの証)

 

私は、子供の時、隣のおばさんがカトリックのクリスチャンで、よくその家に遊びに行き、イエス・キリストの十字架を見ていました。小学生の時教会に行きたくなって、その教会に行きました。初めて聞いたことは、イエス・キリストが十字架にかかり、三日目によみがったという福音でした。よく近所の子供たちも誘って一緒に教会に行ったものです。しかし、中学生になって教会には行かなくなり、遊んでばかりでした。私は神様を忘れたようでしたが、神様はそんな私を忘れておられなかったようです。

 

高校を卒業し、専門学校に行っていた時、夜の街に繰り出しては遊び歩く日々が続きました。ある夜、ある人たちと飲んでいた時、彼らは調子のいい私に全ての支払いをさせようと言い出したのでした。当然そんなお金持っているわけもなく、因縁を付けられ、殴られ、悔しい思いをしたのをきっかけに、私は強くなることを求めて、学校を辞め、自衛隊に入り、強くなるためにいろんな訓練にチャレンジしていきました。しかし、強くなっても、どこまで行ってもきりがなく、悔しい気持ちで生きていくことに疲れを感じ始めました。

 

そんな時、そんな私に神様は手を差し伸べてくださったのです。私の班長が教会に行っていた人で、「外人のところに連れて行ってやろうか?教会だけどいいか?」と聞かれ、親しみを感じ、「行きます」とついて行ったのです。それは当時大竹(広島県)で開拓伝道していたレスター師の家の教会でした、初めて接するアメリカ人の家庭、懐かしい聖書と聖歌の礼拝、久しぶりに家庭の暖かさにふれて、帰るときには「また来てもいいですか」と尋ねていました。「どうぞまた来てください」と言われ、それから毎日曜日には、電車で1時間かけて大竹聖書宣教教会に集いました。しかし、その時の私はキリストを求めていたとか、救いを求めていたのではなく、ただ教会に遊びに行っているという感じでした。しかしそんな私でしたが、徐々に神様は私の心を整えておられたのです。ある時から私の心は考えるようになっていました、「あの人たちは日本に何しに来ているのだろうか?」「イエス・キリストを宣べ伝えに来ているのだ」。そうやって「イエス・キリストを信じ受け入れること」の必要性を感じるようになっていったのです。教会に行き出してから1年が経ったころ、夏の修養会があって、私はそれに参加することにしました、それで、そこへ行く前に高知の実家に帰り、「クリスチャンになってもいいか」と尋ねたところ、「かまわない」とのことでした(自分がそれまで何事も長続きしたことがなく、三日坊主ですべてが終わっていたから、そんなに深く考えずに返事をしたのだと思います)。それで出席した修養会で、私は「もう降参します」というような気持で、白旗を振って敵に降参するような感じで、招きの祭壇に行き、導かれるまま、今までの罪を悔い改めて、イエス様を私の主として信じ受け入れました。すっきりし、喜びが沸きあがったのを覚えています。次の日、洗礼式があり、何もわからないままでしたが、それを受けました。その時証した言葉を今も覚えています「これから第二の人生を生きます」。宣教師先生の奥さんがその時「あなたはまだ自分の聖書も持ってないね。買って、毎日聖書を読みなさい。そうしたらあなたは守られるけど、読まなかったらダメになるよ。」と、それで帰り道に聖書を買って、毎日読み始めました。わからないところは電話で奥さんに聞きました。そのうち、兵舎で皆が珍しがって見るようになり、皆にクリスチャンになったことを証する機会になりました。不思議にそのことは続きました、本など読んだことのなかった私が、漫画や雑誌しか見なかった私が、あの文字ばかりの聖書が面白いと思うようになっていました。その理由の一つは、私は自分自身に自信がなくダメな人間、バカだと思っていたのですが、聖書を読むたびに神様が「できるよ」「あなたはできる」「キリストによるなら何でもできる」と語ってくださったからです。それでどんどんイエス様を愛するようになり、イエス様を知り、神様がどんな方かを知るようになっていったのです。またその時知ったことは、私が求めていた本当の強さはここにある、ということです。人の目を怖れることなく、「はい」を「はい」と言い、「いいえ」を「いいえ」と言うことが、神様を中心とした生き方からできるようになっていたのです。もう肉体の力強さを求めることはやめました。

 

しかし、そうやってイエス様を愛し、父なる神様を愛するようになればなるほど、また違う一つの思いがわいてきました。自分は神様にふさわしくない、神様と自分との間に隔てになるものがあると感じるようになり、それをどうしたらいいかと考えると、もうすべてを辞めて、信仰もやめてしまおうかと思うまでの気持ちになっていきました。右を選ぶべきか、左を選ぶべきか、答えが出せないまま何日も経ちました。ある夜、決心して兵舎の外で一人きりで祈っていました、どうしても答えがほしかったからです。どれだけ祈っていたかわかりませんが、主は私に左右に揺れる時計の振り子を見させてくださいました。それは今の自分の心のようでした。左右に揺れている、すると、すうっと手が出てきて、その振り子をぴたりと留めてくれたのです。その時私は神様に感謝しました、神様の答えは、右でもない、左でもない、全く神様に信頼することだったのです。その夜、心のつっかえがなくなり、神様に「全幅の信頼」を持つことができました。

 

その頃、仕事の関係で神奈川県にいましたので、川崎の南部キリスト教会に通っていました。そこには若者が幾人かいて、教会で行うイベントやトラクト配布などは皆、この青年たちが企画していました。また時々神学生が奉仕に来ていて、楽しい交わりの時を持ちました。そんな中、思わされたのは、うちの教会は、宣教師先生たちが頑張っていて、日本人の私はいつもお客さんみたいな気持ちで集っている、もっと日本人の私達も頑張らないといけない、ということでした。広島に戻ってまた大竹教会に集いだしたある夜の集会で、イエス様がペテロに「あなたは私を愛するか」「はい私はあなたを愛します」では「私の羊を飼いなさい」「あなたは私に従いなさい」との御言葉が読まれた時、主は私の心にも同じようにチャレンジを与えました。これまた悩み祈りました。そして断食祈祷の後、「私はあなたを決して捨てない」との約束をいただいて、「献身」の召命を受け入れたのです。

 

ほどなく自衛隊を辞めさせていただき、妻と二人で月4万円の給料の保証でしたが、主の御言葉に信頼して献身生活を始めました。あれから30年以上経ち、ここまで来ました。主の約束は一つもたがわず、こんな小さな私ですが、主の働きを続けさせていただいてます。そして約束通り、主は私たちに必要を与え、贅沢さえ言わなければ、すべて満たされた日々を暮らしてきました。ここまで守ってくださった主は、これから先も導いてくださると信じています。