祈りと学びの聖書日課

日々の祝福(毎日更新中!)

今年度は単純に信仰の基本を復習(デボーション)として聖書日課を楽しみましょう。

 


日々の祝福(本文を読む前に注意していただきたいこと!)

1)  最初に聖句を読み、本文を読み、もう一度最初の聖句を読み、お祈りの順番で読み進めてください。

2)  「祈りと学び」はあくまでヒントなので、自分なり(心)に従ってお祈りください

3)  この書は「祝福」という言葉を学び、祈ることに焦点をあわしています。聖書を通して「恵まれた」「祝福された(る)」とはどうゆう意味なのか考えましょう。

4)  時に同じ章句を繰り返し出てきますが、その箇所が大切で今がある個所だからです。

5)  つながりのある内容は、その話の流れによっては、その流れが解るように書いています。

6)  この書を通し、信仰を知り、信仰を考え、信仰を深め、信仰のために戦い真の意味での聖書的祝福を感じることができるようになっています。これは聖書全体の内容の展開であることを知らされています。

聖書とは、御言葉を通して、すばらしい神の祝福が、ひしひしと湧き出てくる書です。

 

 

聖書日課

6月6日(土)

6月6日(土曜日)「死の影の谷を歩くとも」

 

【新改訳2017

 

詩篇 23・1-6

 

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。…‥たとい、死の影の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。…‥」(1-4節)

 

詩篇23篇は、「詩篇の中の詩篇」とも言われています。ぜひ繰り返し読み、思いめぐらしてみてください。なんと美しい、豊かな内容でしょう。

 

特に四節で、どれだけ多くの人たちが慰めを受け、また、救われたかしれません。筆者自身、19歳の時は重症の肺結核、60歳を目前にして胃がんを病み、それぞれ、その時代では致命的と思われる病気の中で、このみことばの祝福を体験させていただきました。この幸いは、言葉だけでは言い尽くせません。

 

ターミナル・ケアにも重荷をもって約10年、多くの兄姉がこのみことばで勝利の凱旋をされたのを見てきました。

 

生ける主がともにいてくださることは、なんという幸いでしょう。ハレルヤ!

 

~祈り~

 

主よ。あなたは、明るい所だけでなく、暗い、死の影の谷でさえも共にいてくださることを感謝します。今、暗い所を歩んでいる人たちに、この祝福を与えてください。

 

【学びのために】

 

「主は羊飼い」の詩。

 

(参考区部)1-4節 羊飼いのたとえ、5-6節 客を迎える主人のたとえ。34歳で子宮がんで召された姉妹は、病床で何度もこの詩篇を読み返して支えられ、平安のうちに、きれいな笑顔で勝利された姿が今も印象深く残っています。

 

 

 

【新改訳2017

 

詩篇 22・1-31

 

「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも…‥けれども、あなたは聖であられ…‥ます。」(1-3節)

 

この詩篇は、私には「まことに神秘的な詩」の一つです。

 

1、2節の「神の沈黙」は、不思議でたまりませんでした。しかもこの1節は、そのままイエス・キリストが十字架の上で叫ばれた祈りとなっているのです(マタイ27・46参照)。実は、詩人の信仰体験であったと同時に、メシヤの受難の預言でもあったのです。また「聖」とは、偽り、失敗、不正、汚れのない完全を意味します。

 

神を信じる生活にも、神から見放されたのではないかと思う時があります。同時に、そのような中でも神に叫び求め、祈るのが信仰であると教えられます。主イエスの場合は、私たち人間の罪のために完全に身代わりとなられたことの叫びでした(イザヤ59・1、2参照)。ですから「赦し」も完全なのです。

 

~祈り~

 

主よ。あなたは私たちの罪のために、父から見捨てられ、まったく身代わりとなってくださいました。そのために、全き赦しがあることを感謝いたします。

 

【学びのために】

 

メシヤ(キリスト)の受難の詩と言われます。(参考区分)1-3節 神の沈黙、4-10節 神と自分の関係、11-21節 苦難の様子と祈り、21-31節 信仰による感謝と賛美。

 

 

 


小助川(こすけがわ) (つぎ)

著書:日々の祝福

 いのちのことば社 出版