祈りと学びの聖書日課

日々の祝福(毎日更新中!)

今年度は単純に信仰の基本を復習(デボーション)として聖書日課を楽しみましょう。

 


日々の祝福(本文を読む前に注意していただきたいこと!)

1)  最初に聖句を読み、本文を読み、もう一度最初の聖句を読み、お祈りの順番で読み進めてください。

2)  「祈りと学び」はあくまでヒントなので、自分なり(心)に従ってお祈りください

3)  この書は「祝福」という言葉を学び、祈ることに焦点をあわしています。聖書を通して「恵まれた」「祝福された(る)」とはどうゆう意味なのか考えましょう。

4)  時に同じ章句を繰り返し出てきますが、その箇所が大切で今がある個所だからです。

5)  つながりのある内容は、その話の流れによっては、その流れが解るように書いています。

6)  この書を通し、信仰を知り、信仰を考え、信仰を深め、信仰のために戦い真の意味での聖書的祝福を感じることができるようになっています。これは聖書全体の内容の展開であることを知らされています。

聖書とは、御言葉を通して、すばらしい神の祝福が、ひしひしと湧き出てくる書です。

 

 

聖書日課

1月22日(金曜日)

 

「行き届いている守り」

 

【新改訳2017】     創世記 266-11

 

「その土地の人々が彼(イサク)の妻のことを尋ねた。すると彼は…‥『あれは私の妹です』と答えた。リベカが美しかったので、リベカのことでこの土地の人々が自分を殺しはしないかと思ったからである。」(7節)

 

これは、イサクと一族がゲラルの地に入った時のことです。

 

イサクは、自分の妻が美しかったので、その地の人々が(だれか)リベカを欲しいために自分を殺してまで奪い取ろうとするのではないかと恐れ、自己保身のためにウソをついたのです。

 

なんとあわれな夫だろうと腹が立ちます。しかし実は、これは彼の父アブラハムが二度も演じた誤りでした(創世1210202017参照)。当時の時代背景の中で理解しなければなりませんが、変わらないのは人間の弱さ、本能的な自己中心性、子が親のやることにならう事実と親の責任です。

 

しかし、神はその地の王を用いて、このことが大きな罪になる前に気づかせ、守ってくださいました。神の守りは行き届いているのです。また、そのことに気づくことが大切です。

 

~祈り~

 

父なる神様。あなたの守りが行き届いたものであることを感謝します。どうか、自分のうそや偽りで、自分だけではなく、他の人までも窮地に追いやることがないように守ってください。

 

【学びのために】

 

自己保身や自己弁護は、人間の自己中心性から本能的になされるもので、私たちすべての傾向です。これは、御霊の実を結ぶ過程で克服する以外ありません。ガラテヤ52223、箴言258参照。

 

【新改訳2017】     創世記 2527-34

 

「…‥こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。」(34節)

 

イサクは、妻リベカとの間にふたごを与えられ、兄エサウ、弟をヤコブと名づけました。各々の名前は、生まれた時の様子からつけられました。その時、イサクは60歳。エサウはちなみに猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人で天幕に住み、牧羊を仕事にしました。

 

ある日、兄エサウは狩猟から疲労と空腹で帰宅した時、ヤコブがおいしそうなパンとレンズ豆の煮物を前にしていたのを見て、自分に与えられている長子の権利と引き換えに、その食べ物を手に入れ満足しました。当時、その権利には生涯にかかわる祝福が伴っていました。財産だけではなくアブラハムへの契約の祝福のすべてがかかわっていました。エサウはそれを一時の満足のために手離し、ヤコブは執拗な仕方で手に入れました。私たちは、神の祝福についてエサウ型でしょうか、それともヤコブ型でしょうか。よく考えてみましょう。

 

~祈り~

 

主よ。神の子どもとなる特権と祝福をお与えくださり、ありがとうございます。どうか、これを世の何ものとも引き換えるような間違いを犯さないようにお守りください。

 

【学びのために】

 

実際には、信仰にもいろいろなタイプがあります。ここでは、二つの対照的なタイプを見ます。へブル121617参照。

 


小助川(こすけがわ) (つぎ)

著書:日々の祝福

 いのちのことば社 出版