聖書日課「日々の祝福」
【新改訳2017】 創世記 22・1-19
「・・・・・神はアラブハムを試練に会わせられた。……神は仰せられた。『あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを…‥全焼のいけにえとして…‥わたしにささげなさい。』」(1、2節)
初めて読まれる人には驚くようなことばです。神のこの命令には、実は深い意味がありました。父アブラハム自身もとまどいを覚えたことでしょうが、神はアブラハムとイサクの信仰を試し、かついっそう確かなものにしようとされたのでした。
これはテストであり、試練でありました。神はこの父と子が合格したとご覧になった時、そうなることを予知しておられ、一頭の雄羊をイサクの代わりにいけにえとされたのです。
アブラハムと子イサクは、後に人類の救済にかかわる大いなる祝福を与えられていましたが、その使命を果たすためには神への献身と服従が必要であり、その試練も必要だったのです。この意義は今日も同じです。試練はのろいではなく祝福のための訓練です。祈りつつ勝利しましょう。
~祈り~
主よ。試練に会うと、すぐつぶやいたり、不信仰になりやすい者です。どうか、神は用いられる者を訓練されることを覚えて、祈りつつそれを受けることができますように。
【学びのために】
「試練」という語は、「試み」と「練られること」の両方を意味する、すぐれた用語です。「試みられること」を耐える時、「練られた品性」が作り上げられます。試練は悪でも不幸でもありません(ローマ5・3、4、ヤコブ1・2-4、12参照)。
小助川 次雄
著書:日々の祝福
いのちのことば社 出版