聖書日課「日々の祝福」
【新改訳2017】 創世記 22・14
「そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、『主の山の上には備えがある』と言い伝えられている。」
昨日学んだように、神はご自身で選び用いようとされたアブラハムに、祭壇を築いて子イサクをささげるように命じられましたが、彼らが献身と服従に合格した時、イサクを火で焼いていけにえとする代わりに、一頭の雄羊を備えてささげました。その時、父アブラハムは「主の山の上には備えがある」と言ったのです。
神に従う時にも、先が見えないこと、わけがわからないこと、いろいろなことがあります。しかし、神のみことば(聖書)を正しく理解して信頼するならば、必ず神の備えを見いだすでしょう。私も三十数年前、献身したころ、子どもたちのミルク代や学費に窮したことがありました。でも、祈りつつみことばを与えられ一歩進んだ時、重役待遇のアルバイトが入ったことがあります。神の側にはいつも備えがあることを面白いほど体験させていただきました。神を信じて従いましょう。
~祈り~
主よ。あなたが人に何かをさせられる時には、必ず必要な備えがあることを信じてお従いできるように、信仰を増してください。
【学びのために】
「主の山」とは、モリヤの山(創世22・2)でした。それから、『主に従って何かをしようとするときの困難な状況』を指しても用いられます。そのための神の備えは、私たちの思いと異なることがありますが、いつもそれ以上です。
小助川 次雄
著書:日々の祝福
いのちのことば社 出版