聖書日課「日々の祝福」



【新改訳2017】     ルカ 1525-32

 

「しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、わたしはお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友達と楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。それなのに…‥。』」(2930節)

 

放蕩息子のたとえの後半の部分の一節です。場面は変わって、放蕩息子の兄に焦点が当てられています。

 

兄は真面目な人で、忠実に父に仕えていましたが、律法主義的になっていました。身勝手なことをして帰って来た弟を、父が大喜びで迎えたことをねたみ、父に不快感をぶちまけたのです。しかし、父は兄息子の当然の権利を認めており、自分のものは全部お前のものではないかと戒めました。そして、弟息子について、死んでいたのが生き返って来たのだから、喜ぶのは当然であると諭しました。

 

ねたみは人を不幸にします。この兄はパリサイ人、あるいはユダヤ人を指すとも言われますが、先に救われて奉仕しているキリスト者にも起こり得る心ではないでしょうか。牧師が求道者や新しい信者に配慮しているのをねたむ類です。

 

~祈り~

 

主よ。主が自分に与えてくださっている恵みに感謝し、また、他の人への神の愛と祝福をも共に喜べる者としてください。

 

【学びのために】

 

ねたみ(嫉妬)とは、「うらやみ妬むこと、うらやみ憎むこと」です。「うらやむ」とは、他人と比較して自分もそうでありたいと思うこと。これもやはり、肉の心理の一面です。熱心な奉仕をしている人にも見られることがあります。

 


小助川(こすけがわ) (つぎ)

著書:日々の祝福

 いのちのことば社 出版