「コロナ後の世界を考える」

 

「同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。」

 

        (マタイ24:33)

 

 沖縄では2月14日に最初の新型コロナウイルスの感染者がでましたが、その時点では、世界中に感染者が広がり、国家間の行き来がなくなり、学校の卒業式が中止となり、新学期が延期され、多くの業種の仕事が休止されるという状況になろうとは思ってもいませんでした。

 

 今回の新型コロナウイルスの蔓延について、いろいろな方々が言っておられますが、それらの意見を参考にしながら、私が感じていることを書きたいと思います。

 

  第一は、これは「人間の高慢に対する」神の警告であると受け止めます。

 創世記11章にバベルの塔の事件が書かれています。「頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。」と人々は塔を建てようとしましたが、神は言葉を混乱させ、塔の建設をやめさせました。 21世紀に入ってゲノム編集、AIの発達、同性愛の容認など、神の領域への挑戦、行き過ぎたテクノロジーの発達、神が定めた秩序を無視する世の中になって来ました。また、世界はグローバル化が進んでいます。しかし、今回のコロナ禍のため国境の管理は厳しくなり、グローバル化にブレーキがかかっています。グローバル化だけでなく、ステイホームが叫ばれ、経済活動や文化活動など様々な活動が停滞しています。神がブレーキをかけたのです。神がブレーキをかけたのであれば何らかの意味があるのです。

 

 第二に、「時代が変わってくるよ」という警告です。

 歴史は、律法の時代、恵みの時代と分けられます。今は恵みの時代ですが、恵みの時代は携挙(キリストが再臨し、真のクリスチャンを天に挙げる)によって終わり、7年間の患難時代に入ります。患難時代には疫病や飢饉、大地震が起きると黙示録には書いてあります。

 

 今回のコロナ禍は「患難時代が近づいているよ」という警告ではないでしょうか?携挙は突然ありますが、神に目を向けているクリスチャンにとっては近いことがわかるのです。

 

 大量のいなごが通った後は、風景が一変します。コロナ禍もいつか終息するでしょうが、終息した後の世界の状況はコロナ禍前のそれとは変わってしまうと多くの識者が指摘しています。産業の構造が変わってくるでしょう。また、世界の国同士のパワーバランスが変わってくると思われます。恵みの時代が終わり、少しずつ時代は次のステージに移って行くのです。

 

  第三に、だから「携挙に備えよ!」です。

  携挙(キリストが再臨し、真のクリスチャンを天に挙げる)がいつあるか誰にもわかりませんが、その備えは必要です。その備えとは、自分に対しては信仰を確認することであり、他者に対しては福音宣教です。

 

 「弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。」 (Ⅰコリント9:22)

 

豊見城聖書宣教教会

 

                牧師 浅林雅晴