2025年6月1日~約1年間を通し、キリスト教入門・神学コースで学んでいきたいと思います。只毎回集いたいのに集えない学びたいけど1年間を通すとなれば~???と思う方朗報です!この度HPから見て学ぶ、ことが可能になりました。数年後あ!こんな話してたよねって振り返えり誰かの力になることもあると思います。
38。ホーリネス(聖潔)運動の歴史
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38。ホーリネス(聖潔)運動の歴史
テトス 2章 11〜14節
11節は、 実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。
12節は、 その恵みは、私たちが不敬虔とこの世の欲を捨て、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、 13節は、祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。 14節は、私たちをすべての不法からあがない出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、は、たちのためにご自分をささげられたのです。
ホーリネス運動とは、神が罪深い人間を赦し、聖霊によって心を清め、この世できよくて正しい生活を送ることができるように神が助けてくださることを強調する、誠実なクリスチャンのグループと定義できます。ルカ1章75節第一ペテロ1章15節、16節
ホーリネス運動はプロテスタント教会の一部であり、その歴史は1500年代の、・ルターに遡ります。マルティン・ルター、ジョン・ノックス、ジョン・カルヴァン、ジョン・フス、ジョン・ウィクリフ、その他多くの人々が、みことばの権威と信仰による救いを強調しました。
ホーリネス運動の主な重点
• 罪からの救い マタイ1章21節(罪に対する日々の勝利は可能である)
• 第二の恵み ― 聖化/聖霊のバプテスマ 使徒19章2節
• 慎重なきよい生活 ― あらゆる形の悪から離れること
第一テサロニケ5章22節
• 礼拝における自由 ― 熱心な祈り、心からの歌、神へのほめたたえを叫ぶ
• 「よ」からの分離 ― ローマ12章2節第二コリント6章17節
• 内面の変化の外面的な表現 ― 慎み深い服装、髪型など
第一テモテ2章9節
• ホーリネス運動は、神学的にはアリミニウス主義(自由意志、条件付き救い、救いを失う可能性)に基づいています。
これは完全なリストではありませんが、全き聖化のメッセージを広めるために始まった宗派/運動の一部を以下に示します。
(1650年代)クエーカー教徒/ジョージ・フォックス - 簡素な聖なる生活と聖霊による心の聖化または清めを強調しました。
(1740年代)メソジスト派/ジョン・ウェスレー - 英国国教会内で、全き聖化、聖なる生活、そしてより形式ばらない礼拝様式を強調する運動を始めました。メソジスト派は1780年代に正式に認可されました。ジョン・ウェスレーは聖潔運動の父とみなされています。100年以上にわたり、メソジスト教会は世界に「完全な救い」を宣べ伝える素晴らしい器でした。
(1770年代)キリストにあっての兄弟団 ― これらのキリスト教徒は、大覚醒運動に深く影響を受け、聖なる簡素な生活を重視しました。彼らは100年間、家庭礼拝の形で集会を開き、後に三方を会衆席で囲まれた、高さのない説教壇のある簡素な集会所を建てました。彼らは世間から非常に距離を置いていました。
(1780年-1900年)アメリカのキャンプミーティング時代 ―
これは特定の宗派ではなく、宗派を超えた現象でした。「完全な救い」のメッセージを広めるために、昔ながらのキャンプ集会ほど力強く用いられた方法は他にありません。最初のキャンプ集会は1770年代にケンタッキー州で始まり、非常に簡素なものでした。低木を刈り取って「ブッシュアーバー」として利用し、聴衆を風雨から守りました。説教者は簡素な丸太の説教壇から説教し、聴衆は背もたれのない丸太のベンチに座りました。そこでは聖霊に満たされた説教、情熱的な祭壇への招き、熱心な祈り、そしてそこで救われてきよめられた何千人もの人々からの自発的な証がありました。毎年夏には何百ものキャンプが開催され、あらゆる宗派のクリスチャンが何十万人も参加しました。
(1860年)自由メソジスト教会/ベンジャミン・ロバーツ - 座席料を廃止し、奴隷解放を望み、女性に礼拝と奉仕の自由を与えたことから「自由メソジスト」と名付けられました。強い福音主義を持ち、個人の聖潔と聖化の経験を強調しました。
(1865年)救世軍/ウィリアム&キャサリン・ブース ー ウィリアム・ブースはメソジスト教会の伝道者でしたが、ロンドンのスラム街の人々の大きなニーズを見て、大衆に「スープ、石鹸、そして救い」を提供するために最善を尽くしました。彼らは心と生活の聖潔を信じ、路傍伝道やリバイバル集会など、あらゆる種類の伝道活動に関わりました。
(1883年)チャーチオブゴッド・ホーリネス/カンザスシティ大学
(1897年)ピルグリムホーリネス教会/マーティン・ウェルズ・ナップ&セス・リース 「神の聖書学校」を設立しました。
(1908年)ナザレン教会/フィニアス・ブリージー メソジスト教会が第二の恵みの聖潔の実践と説教を失った結果として始まりました。多くの独立したホーリネス教会と連盟が統合してナザレン教会を形成しました。ナザレン教会は伝道とリバイバルの力強い拠点でした。新しい教会は驚異的な成長を遂げ、1908年には228の教会と10,414人の会員から、1948年には3,350の教会と210,000人の会員へと増加しました。
時代が変わり、多くのホーリネス教団は世的な影響に流される
アメリカが「狂騒の20年代」に入ると、道徳と宗教の著しい衰退が見られました。1927年、初の音声付き映画が公開されました。この時期にはギャング映画が人気を博し、暴力と不道徳がスクリーンを通して大衆に解き放たれました。「フラッパー」時代には、より短いスカート、おかっぱの髪型、そして男性と同じように喫煙や飲酒をする女性が登場しました。これらすべてが、聖潔派の教団に影響を与え、1930年代と1940年代には、ほとんどの教団が「昔ながらの」聖潔の服装と行動の基準を緩め始めました。
ホーリネスの教団における世俗主義の浸透に対応して、より小規模で古風なホーリネス運動の新たなグループが 出現しました。
すべての保守的なホーリネス教会を列挙することはできませんが、主要な教団・協会・連盟をいくつか紹介します。
(1952年)IHC インターチャーチ・ホーリネス・コンベンション/H.E.シュムル&H.ロブ・フレンチ - 独立したホーリネス教会と小規模なホーリネス教派の緩やかなネットワーク。毎年大会を開催し、約4000人が参加する。
(1935年)ゴッズ・ミッショナリー・チャーチ(神の宣教教会)/ウィリアム・ストラウブ&ダニエル・デュベンドルフ - 約50の教会。ペンビュー神学校と提携。
(1890年、1945年)バイブル・ホーリネス・チャーチ (聖書聖潔教会)- 45の教会、1700人の会員
(1955年)聖書宣教教会/グレン・グリフィス – 米国に166の教会、世界中で18,000人の出席者。
BMI神学校(イリノイ州ロックアイランド)と提携。
(1968年)バイブル・メソジスト・コネクション(聖書メソジスト連盟)- 米国に72の教会、海外に100の教会
(1968年)アレゲニー・ウエスレヤン・メソジスト教会/アレゲニー・ウェズリアン大学(オハイオ州セーラム)米国に100以上の教会があり、ハイチ、ガーナ、ペルーで宣教活動を行っています。
日本におけるホーリネス運動の歴史
(1890年)バークレー・バクストンは、教会宣教協会(CMS)に所属する独立系のホーリネス宣教師で、1890年に初めて日本に来られました。彼は島根県で「松江クリスチャンバンド」を創設したこと、そして1903年にケズウィック大会で、同僚のパジェット・ウィルクス(1871-1934)と共に、伝道宣教団体であるJEB(日本伝道隊)を結成したことで最もよく知られています。
1901年、
ウィリアム・カウマン(メソジストの背景を持つ)が宣教師として日本に来られ、中田重治と共に「東洋宣教会」(OMS)を設立しました。彼らは東京にホーリネスの「東京聖書学院」を開設し、年間を通して毎晩福音集会を行いました。彼らは、日本全国のすべての家庭に福音の小冊子または聖書の一部を配布する「大村落キャンペーン」を主導しました(1913-1918年)
中田重治牧師一家
聖会の会衆
(1917年)日本ホーリネス教団 – チャールズ・カウマン宣教師は1917年に健康を崩し帰国する必要になり、 中田重治は日本ホーリネス教団の監督となる。「四重の福音」、すなわち救い、聖化、神癒、そして再臨を強調しました。1940年代、この教派は、日本政府がすべてのプロテスタント教派を統合しようとした「日本基督教団」への加入を強いられました。第二次世界大戦中、多くの聖潔派の説教者が投獄されました。戦後、日本基督教団から離脱し、「日本ホーリネス教団」として再建した。日本ホーリネス教団は現在、日本国内に150の教会を持っています。
1932年 日本ホーリネス教団の牧師たち日本ナザレン教団 ー1905年、
ルル・ウィリアムズとリリアン・プールは、ホーリネス・チャーチ・オブ・クライスト(1908年にナザレン教会と合同した教団)から派遣されました。これらの宣教師は、OMS(東洋宣教会)と共に東京と京都で活動しました。日本におけるナザレン教会の設立には多くの宣教師とともに、3人の日本人 牧師が特筆すべき功績を残しています。
• 永松 幾五郎 牧師 – カリフォルニア州パサデナのナザレン神学校で教育を受け、京都で奉仕した後、1913年に福知山で教会を設立しました。
• 諫山 修身 牧師 – ロサンゼルスの日本伝道所でステープルズ夫人の導きによって回心し、京都でナザレン宣教師のW・A・エッケル牧師夫妻と緊密に協力しました。1918年、エッケル夫妻と諫山牧師は広島県呉市に赴き、教会を設立しました。
• 喜田川 広 牧師 ― ステープルズ宣教師の改宗者であり、パサデナ神学校を卒業後、故郷の熊本に戻り、わずか4か月後、教区監督のハンフリーが18名の会員で日本初のナザレン教会を設立しました。 このうち4名が福音を宣べ伝える召命を感じ、賃貸施設で小さな神学校が開設されました。
日本の初期のナザレン教会は、リバイバルと熱烈な信仰によって特徴づけられていました。1919年、レイノルズ博士の訪問時に、これらの数字が報告されました。
福知山:100人が改宗し、34人が洗礼を受け、教会に 加わりました。
京都:多くの人が救われ、聖化されました。
熊本と近隣の2つの伝道所で、200人が救われ、29人が洗礼を受けました。
呉:12人が洗礼を受けました。 1935年 聖潔集会
1930年代には、多くの指導的地位を日本人牧師が担っていくようになりました。日本のナザレン教会は、テント 集会、リバイバル集会、またコンベンションを開催していました。徹夜の祈祷会も一般的でした。1935年までに、 主に日本の南部に33の教会と1600人の会員がいました。
(1945年)イマヌエル綜合伝道団 ー 第二次世界大戦後、釈放された蔦田二雄牧師によって岡山県で イマヌエル綜合伝道団が設立されました。「神は我らとともにおられる」という信念のもと、全国に活動。現在、日本に113の教会があります。
聖潔運動は、一般キリスト教界において常に少数派です。数は少ないですが、歴史を通して聖潔の人々は神に 忠実であり、世の罪から身を遠ざけ、「イエスはすべての罪から救ってくださる」という素晴らしい事実を強調してきました。
この世代において、私たちは先祖の信仰をしっかりと守り、聖霊が私たちの心を清め、神の愛と福音宣教における大胆さで私たちを満たしてくださいますように。
私たちは「この世の汚れに染まらないように」最善を尽くし、世俗的になりすぎないように注意する必要がありますが、福音を必要としてる世界に手を差し伸べ、福音を伝えることを決してあきらめないようにしましょう!日本で、イエス様のために光を照らしましょう!
山口県岩国聖書宣教教会
住所:山口県岩国市藤生町1-26-24
℡0827-31-7229 (090-5699-5932)