2025年6月1日~約1年間を通し、キリスト教入門・神学コースで学んでいきたいと思います。只毎回集いたいのに集えない学びたいけど1年間を通すとなれば~???と思う方朗報です!この度HPから見て学ぶ、ことが可能になりました。数年後あ!こんな話してたよねって振り返えり誰かの力になることもあると思います。
道徳的退廃
1920年代の 10年間が怒涛のように到来したとき、ナザレン教会は不屈の精神と忍耐力を持って
あらゆる霊的問いに応えるよう努めた。リバイバルの熱意は教会の設立当初から燃え上がり、
活溌な伝道活動によって継続し、若い教団のあらゆる部分に影響を及ぼした。地理的拡大と会員数の増加、団結力の健全な成長が、1920年代の特長だった。 1921年から 1923年のわずか2年の間に、
ナザレン教団は地域の教会数が1145から1304へ、会員数が 43、708人から50、631 人に増加した。この 2年間で 159 の新しい教会と 6900人を超える新しい会員が急増した。
このことは、教会がリバイバルの炎に燃えていたこと、神と聖さを求める真の運動であったことがわかる。
この時期は、教会は今後何年にもわたって団体を導く政府と一般管理体制を整えようとしていた。
教会の初期について書いたナザレンの歴史家ティモシー・L・スミスはこう言った。
この時は、 「各教会の一致を目指す時である。」この時期は、教団に加わったさまざまな教会が使用していた
多くのプログラムが統合され、海外宣教、出版、教育などの確立された永続的な部門に統合された時代でした。 W. T. パーカイザー は、さらに次のような見解を示している:
これに加えて、地方レベルでのクリスチャン教育、青少年活動、女性宣教組織など、教団のプログラム が充実していった。中央組織は 1923年に、特定の教派の利益の支持を求めて競合する多数の調 整されていない「委員会」に代わる総合理事会の設立により、より大きな統一を達成した。
パーカイザーはさらに、1928年に教団憲法が採択されたと説明している。
...信仰の条項、一般規則、政体の大綱をより永続的な教団憲法の下に置くこと。会衆制と監督制と いうしばしば相反する主張のバランスが保たれ、同時に最高の選挙権と立法権が教団の総会に与えられた。
ナザレン教会が「統合の内なる現実を達成する時」に向かって進み、町から町へとイエス・キリストの福音を
広めるという顕著な成功を収めている一方で、世界は革命と反乱で揺れ動いており、最終的には戦争に
つながっていった。ロシア皇帝ニコライ 2 世は王位を退き、1918 年のボリシェヴィキ革命中に家族とともに
処刑された。共産主義は瞬く間にロシアを支配し、母なる大地を怪物に変えた。
同年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム 2 世は退位を余儀なくされ、ハプスブルク帝国は解体され、
1918 年 11 月 11日にドイツは休戦協定に調印した。世界各国が武器を置き、1000万人の
命を奪った4年間にわたる第一次世界大戦が正式に終結した。国々の癒しと再建が始まったのである。
しかし、この数年間の戦争前および戦争中に、もう一つの闘いがあった。それは道徳的な闘いである。
この闘いの相手は、少数の全国的な興行主、映画監督、俳優、配給元で、アメリカの地で行われ、
キリスト教国家を大きな危険にさらすことになった。数年かかったが、娯楽産業の巧妙さとしつこさは、これまで、
あるいはこれからも起こるであろうどんな悲惨な戦争よりも多くの男女の道徳心を破壊するだろう。
世紀の変わり目に、アメリカ文化に持ち込まれた不道徳な影響が、アメリカ国民に退廃の最初の種を蒔くことになったのです。
1903 年に最初のアメリカ映画が作られた。当時、これらの映画はサイレント(無声映画)だった。1912 年までには、何が起こっているかを観客に伝えるために、アクションに合わせて字幕が表示されるようになった。ピアニストは映画の間中、休むことなく演奏し、映画の雰囲気に合わせて速い音からドラマチックな音、
感傷的な音へと変えていった。 1914 年 4 月に最初の大きな映画館が建設された。この映画館は3000人を収容でき、映画にとって華やかな時代が訪れた。無声映画は 20年経たないうちに、
経済的に大成功を収めた。ニコロデオン (入場料 5セントの映画館) は大きな建物に拡張され、連続ドラマを取り入れたことによって活況を呈した。連続ドラマは20分の物語を一話とし、1週間に 一話ずつ上映され、
各話は主人公またはヒロインが危険に遭遇するところで終わる。
第一次世界大戦中から戦後にかけて、カリフォルニア州ハリウッドに映画製作者が集まり、アメリカ映画製作の中心地となった。映画が始まった当初から、一般大衆は映画の主役を演じる男女に特に関心を寄せていた。彼らはスターと呼ばれた。それぞれがスクリーンに映し出す個性的な魅力を持っていたが、そのほとんどは道徳的に悪影響を及ぼすものであった。
特にいかがわしい役柄の1つは、ヴァンパイア(吸血鬼)、またはヴァンプ(女吸血鬼)の役だった。 「ヴァンプ」とは、男性の魂に有害で魅力的な、細くて美しい女性のことを指す。多くの女優が登場し、
映画界で誰が最も魅力的なヴァンプになれるか競争が繰り広げられた。
1920年代半ばになると、ラジオは映画館を脅かした。多くの人がラジオの周りに座り、どこからともなく聞こえてくる人の声に心を奪われ、その結果、人々は映画館から遠ざかった。しかし、アメリカの技術者が無声映画に
音を加える方法を考えだし、1927年には最初の音声付き映画を見ようと大勢の人が映画館に押し寄せた。
ラジオは強い競争相手に出会った。
不道徳さや誘惑的な表現が一般の映画ファンを刺激するのに不十分であれば、プロデューサーはさらに刺激的で、感情を揺さぶるために、別の種類の娯楽を採用した。それは悪徳、憎しみ、そしてお金を中心にしていた。
1920 年から 1933年まで米国で禁酒法が施行されたため、ギャング映画は多くの人々に人気を博した。暴力は映画のスクリーンにあふれ、決して消えることはなかった。この時期のアメリカでは、
国家は娯楽という名のもとに、国民の間では決して許されないことを、公共の劇場の映画スクリーンで
見ることを許したようだ。そして男も女、映画館で見たものが自分の思考パターンや行動に影響を与えていることを実感した。このような道徳的自制と良識の崩壊は、悪魔とその共犯者にとって道徳を打ち砕く突破口となった。悲しいことに、映画はごく短期間のうちに、「無声映画」から 「言葉では言い表せないほどに悪い映画」になった。
当時、アメリカはキリスト教国であり、真の神様を家庭と政府の中心に置こうと戦った。
アメリカの学校では毎日祈りがささげられ、聖書が読まれた。そして、法律は宗教の自由な実践を保護し、
教会は正しい健全な社会の中心として歓迎された。
女性であることは貴ばれ、父親は尊敬され、子供たちは家庭の内外で権威に従うように期待され、訓練された。
アメリカには多くの良い点があり、いくつかの道徳的原則が国民の良心に深く刻み込まれていた。教会はリバイバル集会をもち、多くの魂が神の素晴らしい恵みによって変えられ、人が「信仰を得た」とき、周りのコミュニティーは敬意を持ってその人を見守った。邪悪な影響が突然文化に侵入したことは、まともなアメリカ人から厳しい非難を引き起こした。
1921年3月6日、ペンシルベニア州サンベリーの警察署長は、女性に膝下4インチ(10cm)以上のスカートを着用するよう求める通達を出した。警察署長がこの決定に至ったのは、町民からの十数件の苦情を聞いていたためだった。
1921 年 5月、ニューヨーク州議会は州委員にダンスを検閲する権利を与える法律を可決した。
この問題に関するある報告書には次のように書かれている:「アメリカ全土で、アメリカの若者たちは両親や
祖父母の基準や価値観に対する反逆の熱狂のようなことに夢中になっている。そして、ニューヨークに本拠を置く雑誌の最近のアンケートによれば、大学関係者や記者の大多数は、現代の若者の反乱の急増は深刻な
道徳的危機の兆候であると考えている。」
1921年 8 月 22 日、コネチカット州理容委員会は、女性の髪をおかっぱにすることは散髪行為とみなされると発表しました。これは当時のホーリネス教会では受け入れられないことであり、ナザレン教会では長年にわたり女性が髪を切ることを認めていなかった。
1922年当時のアメリカでは、服装検閲官がいてビーチを歩き回り、違反者を監視していた。男性は胸を露出することはできず、女性の水着は膝上6インチ以下のものでなければならなかった。興味深いことに、
クリスチャンでない人にも行動を統治し制御するための基準がいくつかあった。しかし悲しいことに、時間が経つにつれて、フランスとハリウッドの影響により、アメリカの検閲官は活動しなくなり、職を失った。
娯楽と快楽の名のもとに、ますます多くの不道徳が容認され、より悪者の権利が正義の叫びよりも優先されるようになり、良識と理性の声が聞こえなくなった。楽しさへの飽くなき探求は、ブレーキをかける
良心の声を封じ、国民は過去にはタブーであったものを楽しむことが許された。1920代半ばには、フラッパー
と呼ばれる、流行に敏感な若い女性の新しいライフスタイルが全米を席巻した。グロリエンの「新しい知識の本」は、おしゃれで、短髪、濃いメイクをした、はっきりものを言うアメリカン・フラッパーについて、次のような記述がある:「...フラッパーは戦前の社交界の貴婦人の対極にある。その外見と振る舞いにおいて、解放された 「新しい女性 」を象徴していた。女性はついに選挙権(1920年8月26日)を獲得し、酒を飲み、煙草を吸う権利を勝ち取った。」アメリカが女性の品位と純潔のために戦う意志を失ったのは、なんと悲しい日だった。
女性の品位が下がれば、家庭も国家も同じようになります。
娯楽産業や不道徳な人たちの邪な欲望によって、ひとたび道徳的堕落の扉が開かれ、その扉が開かれ続けると、アメリカの道徳的崩壊は加速した。邪悪な行いはより暴力的になり、セックスアピールはより激しくなり、女性の服装はより露出度の高いものになり、ワンピースの袖は無くなり、化粧が濃くなり、多くの女性が大胆で下品になった。その状態を見て、神様は大いに悲しんだでしょう。
1924年1月18日、ニューヨーク州アルバニーで、州映画検閲委員会はやっと、ハリウッドが悪徳を美化していることを認めた。しかし、それに耳を開く人はいたでしょうか?
当時、国民の道徳的傾向が教会に影響を与えていることを理解している人はほとんどいなかった。
この時期には、国の所々にあるナザレン教会さえも影響を受けた。 J・Bチャップマンは、1923年に「ホーリネスの使者」の編集者に就任して間もなく、1925年に社説を書き、
当時の世俗主義とそれが人々に及ぼす悪影響についてナザレン教会に警告した。彼は問いかけた:
あなたの教会や近所の状態や傾向はどうでしょうか? 半袖、ネックラインが開いている、短いスカート、
花と羽根と宝石を着て、おかっぱをしている人がきよめを告白し、聖歌隊で歌い 教会に所属していますか?もしそうなら、誰かが沈黙をあまりにも長く保ちすぎたことがわかります。
世俗的でガムを噛んでいる若い女性が教会のピアノを弾き、宝石をちりばめ、おかっぱの少女たちが
教会堂で歌やその他のパフォーマンスに主役として参加しているのを見ると、
昔ながらのホーリネス教会にいるとはとても思えない。人々がナザレン教会の一般規則を
実践するように、牧師は説教しましょう。そして、私たちより以前に起こった多くの運動が、 世に迎合するという暗礁に乗り上げて難破しないように、神が私たちを救ってくださいますように!
1920年代、教会とこの世の間にある隔ての壁(第二 コリント6:17)に重大な亀裂が生じていることが、これについて何かをしないといけないと思う聖徒たちによって見出された。間違いなく、「フラッパー世代」は
アメリカの道徳に損害を与え、悲しいことに、ナザレン教会の服装と行動の基準に悪影響を及ぼした。
20年という短い年月(1908年から1928年)に多くの教会員が持ってた確信が公然と疑問視され始め、昔ならの道を守りたいと願う人の心に憂いをもたらした。
山口県岩国聖書宣教教会
住所:山口県岩国市藤生町1-26-24
℡0827-31-7229 (090-5699-5932)