2025年6月1日~約1年間を通し、キリスト教入門・神学コースで学んでいきたいと思います。只毎回集いたいのに集えない学びたいけど1年間を通すとなれば~???と思う方朗報です!この度HPから見て学ぶ、ことが可能になりました。数年後あ!こんな話してたよねって振り返えり誰かの力になることもあると思います。
NO26。 「献金と聖餐式」& ワークシート
1月18日までに記入してください(提出不要)
メッセージは英語・日本語を分けて掲載しています。日本語になりますが、
下記にワークシートを掲載しています。
第二 コリント 9章 6〜12節 ささげることの祝福
6 私が伝えたいことは、こうです。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。
7 一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。
8 神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。
9 「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠にとどまる」と書かれているようにです。
10 種蒔く人に種と食べるためのパンを与えてくださる方は、あなたがたの種を備え、増やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。
11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、すべてを惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して神への感謝を生み出すのです。
12 なぜなら、この奉仕の務めは、聖徒たちの欠乏を満たすだけではなく、神に対する多くの感謝を通してますます豊かになるからです。
使徒パウロは、前の章全体と第9章全体を用いて、「与えること」について語っています。エルサレムの教会は経済的に非常に苦しい状況にあり、迫害にも直面していました。パウロはコリントの人々に対し、マケドニヤの人々がエルサレムのために犠牲的に与えたこと、そして彼ら自身も以前のように惜しみなく与えることを期待していると伝えていました。
使徒パウロは、献金とささげかたについて、いくつかの非常に重要なポイントを示しています。
1. 神の働きのために多く与えれば与えるほど、より多くのことが成し遂げられます。より多くの教会、より多くの 説教者、より多くの聖書、
より多くの福音の宣教、そしてより多くの魂が救われます。(6節)
2. もし私たちが与えることにおいて過度に慎重で、出し惜しみをするなら、神の働きは縮小してしまいます(6)
3. 十分の一献金の金額は決まっているが、それ以上の献金は心で決まったとおりにするべき。(7節)
4. 神を第一とし、そして捧るとき、神はご自身のすべての恵みを私たちに満ちあふれさせてくださいます!!(8)
5. 私たちは、自分たちより貧しい方に与えるべきです。(9節)
6. 種を造られたのは神であり、その種をさらに増やすことができるのも神です。神は私たちのささげ物を見ておられ、私たちの日々の必要(パン、ご飯)が十分備えられるようにしてくださいます。(10節)
7. 感謝の心をもって与え、その困った人が感謝の心で受け取るとき、神への感謝が満ちあふれます。(12)
十分の一献金(什一献金)
地の十分の一は、地の産物であれ木の実であれ、すべて主のものである。それは主の聖なるものである。レビ記27:30
私たちのお金、そして私たちが所有するすべてのものは神のものですが、私たちは収入のわずか十分の一を神にお返しします。それは、私たちが神を信頼していること、そして実際にはすべてが神のものであることを示すためです。私がこれまで話してきた、什一献金を実践しているすべてのクリスチャンは、多くの面で非常に祝福を受けています。
• 什一献金が最初に登場したのは 創世記14:18~20。アブラハムが得たすべての分捕り物の十分の一をささげました。
• 意図的に什一献金を差し控える者は、神の正当なものを盗んでいることになると書いてます マラキ 3:8–1
• イエス様は、私たちが什一献金をすべきであると教えておられます。 ルカ 11:42
ささげることは大きな喜びです
民は、長たちが自ら進んで献げたことを喜んだ。彼らが全き心をもって、自ら進んで主に献げたからである。ダビデ王も大いに喜んだ。
歴代誌第一 29章 9節
主の晩餐(聖餐)
1. 定義
主の晩餐(聖餐)とは、イエス・キリストご自身によって制定された教会の儀礼であり、キリストの死と贖罪の記念であり、信者が霊的にキリストと交わるためのものです。キリストの体である教会が集まり、教会の頭(キリスト)に感謝を捧げるときです。主の晩餐は、救いを与える儀式ではなく、すでに救われている者が信仰を もって守るものです。繰り返しの
犠牲でもなく、(ヘブル 10:12)文字通りの肉と血ではない。(ヨハネ6)
2. 主の晩餐の制定
主の晩餐は、イエス様が十字架に架けられる前夜、過越の食事の間に制定されました。ある意味で、主の晩餐はユダヤ人の毎年の過越の祭りに取って代わるものです。
マタイ26:26-28 また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえて、これを裂 き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。
3. 新しい契約
旧約聖書の時代の古い契約は、人々の罪のために毎年神に動物の犠牲を捧げるものでした。祭司は聖なる神と罪深い人々の間に立たなければなりませんでした。
新しい契約は、十字架上でのイエスの完璧な犠牲によって確立され、私たちが罪から救われ、父なる神と直接交わることを可能にしました。イエス様がその一度限り、過ぎ越しの日にささげられたので、毎年過ぎ越しの祭りで羊をささげる必要はもうないのです。
4. パンと杯の意味 ヨハネ 6:1-6:63
パンと杯はキリストの体と血を表す象徴です。カトリック教会は、神父がパンと杯を祝福して祈ると、それはイエスの実際の体と血に変わる(聖体変化)と教えています。私たちがこの教えを拒否する理由の一つは、ヨハネ6章にあります。この章で、イエスは、ただでもらえる、奇跡的なパン(5千人のパンの奇跡)を求めてやって来た人々に、ご自身が天からのパンであり、永遠の命を望むならイエスの肉を食べ、血を飲まなければならないと告げました。人々はイエスがそれを文字通り意味していると思い、当時多くの人がイエスに従うのをやめました。
その後、イエスは12人の弟子たちに、「わたしがあなたたちに話してきた言葉は、霊であり、また、いのちです」と説明しました。イエスは全く物理的なことについて語っていませんでした。イエスは私たちが霊的に
イエスを「食べる」、つまり、いただくことを望んでおられます。キリストの言葉を黙想し、恵みを受け、イエス様の存在から力を得ることです。
5. キリストの犠牲の記念 「わたしを覚えて、これを行いなさい」
ルカ 22:19
聖餐は、キリストが十字架上で一度限りの犠牲を払われたことを記念するものです。私たちを罪と地獄から救うためにキリストが払われた恐ろしい
代価を決して忘れたり、当然のことと考えないように行う記念です。
6. 誰が参加すべきか、またどのくらいの頻度で聖餐を受けるべきか?
• 罪を赦してくださるためにイエスに信頼を置いた、生まれ変わったクリスチャン。
• 頻度について聖書は決まった教えはありません。格教団によっては、
• 毎週、毎月、年に4回聖餐式を行うことがあります(現時点では、岩国BMCは元旦と聖金曜日に聖餐式を行っています。)
7. 教会の一致
聖餐は、信者がキリストにおいて一つの体であることを証しします。
パンは一つですから、私たちは大勢いても、一つのからだです。皆がともに一つのパンを食べるのですから。
第一コリント 10章 17節
1月18日までに記入してください(提出不要)
1.パウロが第二コリント9章で挙げた献金についての教えをいくつか書いてみてください。
2.神様を信じて、信頼して、十分の一献金を捧げ始めてから何か特別な
祝福はありましたか?
3.大いに喜んで神様に献金したときはありましたか? それか、喜んで貧しい方に与えたことはありますか?
4.聖餐式のパンと杯の意味を書いてください。
5.クリスチャンはなぜ聖餐式をもつのですか? 自分の言葉、自分の考えでいいです。
6.新しい契約を説明してください。
読書宿題 授業中に読めなかった聖書の箇所を読んでください。 ( )
山口県岩国聖書宣教教会
住所:山口県岩国市藤生町1-26-24
℡0827-31-7229 (090-5699-5932)