2025年6月1日~約1年間を通し、キリスト教入門・神学コースで学んでいきたいと思います。只毎回集いたいのに集えない学びたいけど1年間を通すとなれば~???と思う方朗報です!この度HPから見て学ぶ、ことが可能になりました。数年後あ!こんな話してたよねって振り返えり誰かの力になることもあると思います。


14           自由意志とカルヴァン主義とアルミニウス主義の比較

第15回  自由意志とカルヴァン主義とアルミニウス主義の比較の復習を下記に記しています。

(メッセージは日本語・英語に分けて載せています。)


14.      自由じゆう意志いしカルヴァンかるヴぁん主義しゅぎアルミニウスあるみにうす主義しゅぎ比較ひかく

 

BMCマニュアルの信仰(しんこう)条項(じょうこう)より)

私たち(わたし    )は、人間(にんげん)(ぜん)(あく)選ぶ(えら  )能力(のうりょく)をもって創造(そうぞう)され、そのために道徳的(どうとくてき)責任(せきにん)負う(お )(もの)とされたと(しん)じる。堕落(だらく)以降(いこう)人間(にんげん)状態(じょうたい)は、自分(じぶん)自身(じしん)(ちから)(おこな)いによって信仰(しんこう)(かみ)への呼び求め(よ  もと)(そな)えることができないほどである。しかし、イエス・キリスト(とお)して(かみ)(めぐ)みはすべての(ひと)(ゆた)かに(あた)えられており、それによって(つみ)から()立ち返(た   かえ)り、(つみ)(ゆる)しときよめのためにキリストを信じ(しん)(かみ)(よろこ)ばれる良い(よ )(おこな)いを(おこな)うことが可能(かのう)とされるのである。「いのちの(みず)()しい(もの)は、ただで()けなさい。」黙示録(もくしろく)22:17、ヨハネ4:14さらに(わたし)たちは、(ひと)(すく)いや(まった)ききよめを経験(けいけん)しても、(めぐ)みから堕落(だらく)背教(はいきょう)するはことが可能(かのう)であり、もし()(あらた)めないなら、希望(きぼう)なく永遠(えいえん)(ほろ)びると(しん)じる。(エゼキエル18:20,24;使徒1:25;ルカ8:13;ヘブル6:4-6

 

 

キー・クエスチョン:(かみ)救い(すく )計画(けいかく)において、人間(にんげん)自由(じゆう)意志(いし)はどのような役割(やくわり)()たすのか?

 

自由(じゆう)意志(いし)」の定義(ていぎ)

基本的(きほんてき)定義(ていぎ)人間(にんげん)(かみ)から(あた)えられた、本物(ほんもの)選択(せんたく)をする能力(のうりょく)(とく)に、(かみ)(めぐ)みに(たい)する応答(おうとう)(かん)して。ロボットのようにあらかじめプログラムされた存在(そんざい)でもなく、ただ本能(ほんのう)だけで()きる動物(どうぶつ)でもなく、人間(にんげん)には良心(りょうしん)(こころ)意志(いしき)があり、善悪(ぜんあく)(えら)ぶことができる。

ウェスレアン・アルミニウス主義(しゅぎ)見解(けんかい)自由(じゅゆう)意志(いし)は「先行(せんこう)する恩寵(おんちょう)」(救い(すく )備え(そな )として、救い(すく )以前(いぜん)働く(はたら  )(めぐみ))によって可能(かのう)となる。(めぐ)みなしには、人間(にんげん)(つみ)(しば)られているが、この(めぐ)みによって(かみ)への応答(おうとう)可能(かのう)になる。

 

 カルヴァン主義(しゅぎ)改革派(かいかくは)神学(しんがく)

起源(きげん)アウグスティヌス354–430普及(ふ きゅう):ジャン・カルヴァン1509–1564

 

中心(ちゅうしん)強調点(きょうちょうてん)(かみ)絶対的(ぜったいてき)主権者(しゅけんしゃ)であり、人間(にんげん)自分(じぶん)(すく)いに(かん)してほとんど、あるいは(まった)関与(かんよ)できない。

 

カルヴァン主義(しゅぎ)()要点(ようてん)TULIP

Total Depravity              全的(ぜんてき)堕落(だらく)          人間(にんげん)(かみ)立ち返(た  かえ)ることが(まった)くできない。(かみ)介入(かいにゅう)なしには                                           救い(すく )(いた)れない。

Unconditional Election       無条件的(むじょうけんてき)(えら) (かみ)主権(しゅけん)によって(すく)われる

(もの)を選ぶ。人には選択権が                                    なく、救われる者と地獄に定められる者があらかじめ                                    決まっている。

Limited Atonement              限定的贖罪    キリストは選ばれた(えら     )(もの)のためだけに()なれた。

Irresistible Grace        不可抗(ふかこう)(まと)(めぐみ)     (かみ)選ばれた(えら    )(もの)はその()びかけを抵抗(ていこう)することができない。

                               救い(すく )()けると(さだ)めている(ひと)必ず(かなら  )(すく)われる。

Perseverance of saints         聖徒(せいと)堅忍(けんにん)  選ばれた(えら     )(もの)最後(さいご)まで信仰(しんこう)にとどまる。(ひと)行動(こうどう)にかかわらず、                      永久(えいきゅう)保全(ほぜん)      救い(すく )失う(うしな  )ことはない。

 

カルヴァン主義(しゅぎ)では、クリスチャンは依然(いぜん)として言葉(ことば)思い(おも  )(おこな)いにおいて日々(ひび)(つみ)犯す(おか  )(もの)であると(おし)える。しかし(かみ)は、(わたし)たちの「不潔(ふけつ)(ころも)のような()ではなく、キリストが私たち(わたし   )()させる救い(すく  )(ころも)だけをご(らん)になる、と()く。そのため、(おこな)いがどうであっても、ひとたび(えら)び」()れられ、かつ一度(いちど)でもキリストを(しん)じたなら、救い(すく  )(うしな)うことはない。残念(ざんねん)ながらこの教理(きょうり)(とき)”sinning religion”(つみ)犯し続ける(おかつ    づる       )宗教(しゅうきょう)(めぐ)みによる(つみ)犯す(おか  )許可(きょか)”license to sin”につながります。

(おお)くのバプテスト()長老派(ちょうろうは)、その()福音派(ふくいんは)教会(きょうかい)大部分(だいぶぶん)程度(ていど)()はあれ(しん)じられています。)

 

 

 

 

 

 

 

 

ウェスレアン ・ アルミニウス主義(しゅぎ)

 

普及(ふきゅう)ジェームズ・アルミニウス1560–1609、ジョン・ウェスレー1703–1791

 

中心(ちゅうしん)強調点(きょうちょうてん)(かみ)()(あい) (すく)いはすべての(ひと)(そな)えられています。

先行(せんこう)する(めぐみ)恩寵(おんちょう) (ひと)罪過(ざいか)のゆえに霊的(れいてき)()んでいるが、(かみ)(めぐ)みが一人(ひとり)ひとりに(はたら)きかけ、救い(すく )(ぬし)必要(ひつよう)()づかせる。(かみ)環境(かんきょう)状況(じょうきょう)(とお)して(ひと)()もとに引き寄(ひよ)せようとされる。

「だれも(ほろ)びることがなく、すべての(ひと)悔い改(く     あらた)めに進む(すす)ことを(のぞ)んでおられるのです。」 第二ペテロ 39

(じつ)に、すべての(ひと)(すく)いをもたらす(かみ)(めぐ)みが(あらわ)れたのです。」 テトス 211

 

信仰(しんこう)条件(じょうけん)(えら) (かみ)は、信仰(しんこう)応答(おうとう)をした(もの)(えら)ばれる。

(かみ)は、(じつ)に、そのひとり()お与( あ)えになったほどに、()(あい)された。それは御子(みこ)信じる(しん   )(もの)が、一人(ひとり)として(ほろ)びることなく、永遠(えいえん)のいのちを()つためである。」 ヨハネ3:16

 

普遍的(ふへんてき)贖い(あがな  )ー 十字架(じゅうじか)(あがな)いは万民(まんみん)全て(すべ  )(ひと))のため。キリストはすべての(ひと)のために()なれた。

「キリストはすべての(ひと)のために()なれました」(コリント5:15

 

自由(じゆう)意志(いし) (ひと)(かみ)恵み(めぐ )受け入(う い)れることも(こば)むこともできる。(かみ)(ひと)

ロボットのように(つく)ることもできたが、(あい)尊敬(そんけい)(もと)づく真実(しんじつ)関係(かんけい)(もと)められる。

「あの大河(たいが)()こうにいた、あなたがたの先祖(せんぞ)仕えた(つか  )神々(かみがみ)でも、(いま)あなたがたが()んでいる()のアモリ(じん)神々(かみがみ)でも、あなたがたが仕えよう(つか     )(おも)うものを、今日(きょう)(えら)ぶがよい。ただし、(わたし)(わたし)(いえ)(おも)(つか)える」(ヨシュア24:15

 

背信(はいしん)可能性(かのうせい) 信者(しんじゃ)故意(こい)(かみ)とその命令(めいれい)(こば)なら堕落(だらく)する。

(しゅ)であり、救い(すく  )(ぬし)であるイエス・キリストを()ることによって()(よご)れから(のが)れたのに、(ふたた)びそれに()()まれて打ち負(う ま)かされるなら、そのような(ひと)たちの

終わり(お  )状態(じょうたい)初め(はじ  )状態(じょうたい)よりももっと(わる)くなります」(ペテロ2:20

 

(ナザレン教会(きょうかい)救世軍(きゅうせいぐん)、ウェスリアン教会(きょうかい)、フリーメソジスト教会(きょうかい)、ホーリネス()自由(じゆう)意志(いし)バプテスト教会(きょうかい)、そしてアセンブリー・オブ・ゴッドのような(おお)くのペンテコステ()宗派(しゅうは)はアルミニウス主義(しゅぎ)(しん)じている。)

 

その()比較(ひかく)

 

カルヴァン主義(しゅぎ)は、(かみ)(つみ)刑罰(けいばつ)()(のぞ)ことを強調(きょうちょう)する。

ウェスレアン ・ アルミニウス主義(しゅぎ)は、(かみ)(つみ)そのものを(ゆる)し、心から(こころ  )(つみ)性質(せいしつ)をもきよめることを強調(きょうちょう)する。

 

カルヴァン主義(しゅぎ)は、クリスチャンは依然(いぜん)として罪人(つみびと)であり、日々(ひび)()(あらた)(つづ)ける必要(ひつよう)があると(おし)える。

ウェスレアン ・ アルミニウス主義(しゅぎ)は、(かみ)(ひと)(まった)ききよめへと(みちび)き、(つみ)()取り去(と  さ)ることができる。聖霊(せいれい)(したが)えば、もはや(つみ)のうちを(あゆ)必要(ひつよう)はないと(おし)える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジョン・ウェスレーとメソジズム  (BMC歴史(れきし)(ほん))

 

(かみ)地上(ちじょう)偉大(いだい)(はたら)きをしようとするときはいつでも、(ひと)(さが)します。旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)時代(じだい)には、サムエル、エリヤ、ダビデがいました。 18世紀(せいき)には、ジョン・ウェスレーという人物(じんぶつ)がおり、(かれ)影響(えいきょう)100(ねん)近く(ちか  )宗教(しゅうきょう)(おお)きな影響(えいきょう)(あた)えました。(かれ)はキリスト(きょう)素朴(そぼく)さ、規律(きりつ)組織(そしき)(こころ)とスピリットになりました。

 

マルティン・ルターは腐敗(ふはい)したキリスト(きょう)改革(かいかく)し、ウェスレーは瀕死(ひんし)のキリスト(きょう)復活(ふっかつ)させました。ルターは、カトリック教皇(きょうこう)(あやま)りと不正(ふせい)行為(こうい)という論争(ろんそう)取り組(と  く)みました。

ウェスレーは霊的(れいてき)経験(けいけん)について(かた)りました。宗教(しゅうきょう)改革者(かいかくしゃ)(かみ)言葉(ことば)という(けん)持った(も  )戦闘員(せんとういん)であったが、メソジストたちは(かみ)人間(にんげん)への完全(かんぜん)(あい)燃える(も  )(こころ)持った(も  )伝道者(でんどうしゃ)であり、その(きょう)()世界(せかい)でありました。彼ら(かれ  )(むね)には権威(けんい)(たい)する反感(はんかん)はなく、むしろ人々(ひとびと)への情熱(じょうねつ)があったのです。

 

ジョン・ウェスレーは、1703617 日、牧師(ぼくし)家庭(かてい)15 番目(ばんめ)子供(こども)としてサミュエル・ウェスレーとスザンナ・ウェスレーの(あいだ)()まれました。(かれ)は、メソジズムの著名(ちょめい)創始者(そうししゃ)になりました。チャールズ・ウェスレー、ジョージ・ホイットフィールド、ジョン・フレッチャー、トーマス・コークといった()有能(ゆうのう)人物(じんぶつ)重要(じゅううよう)地位(ちい)(にな)うことになりますが、この運動(うんどう)統一性(とういつせい)確保(かくほ)し、運動(うんどう)継続(けいぞく)必要(ひつよう)推進力(すいしんりょく)(あた)えたのはジョン・ウェスレーでした。

 

幼い(おさな  )(ころ)のウェスレーの家庭(かてい)環境(かんきょう)は、(かれ)自身(じしん)世界(せかい)両方(りょうほう)にとって霊的(れいてき)利益(りえき)をもたらしました。(かれ)母親(ははおや)は、厳格(げんかく)規律(きりつ)守る(まも  )(はは)でした。()育て(そだ  )(かん)する彼女(かのじょ)自身(じしん)言葉(ことば)からもそれがわかります。

 

     1(さい)になると、(かれ)ら(スザンナ・ウェスレーの子供(こども)たち)は()らしめのむちによって尊敬(そんけい)(なら)いました。(しず)かに()くように(おし)えられた結果(けっか)として、子供(こども)のうるさい泣き声(な  ごえ)という最も(もっと  )不快(ふかい)騒音(そうおん)(いえ)(なか)()かれる     ことはほとんどなかくて、()らしめが必要(ひつよう)というときも(すく)なく     なった。

 

オックスフォードのリンカーン大学(だいがく)在学中(ざいがくちゅう)、ウェスレーは「ホーリー・クラブ」(きよい会)に入会(にゅうかい)しました。このクラブは、(かみ)()り、(かみ)のために()分離(ぶんれつ)した生き方(い  かた)(おく)ることを真剣(しんけん)(のぞ)んでいた若者(わかもの)たちによって構成(こうせい)されていました。これを達成(たっせい)するために、彼ら(かれ  )純粋(じゅんすい)(こころ)獲得(かくとく)し、維持(いじ)するために組織的(そしきてき)努力(どりょく)し、(かれ)らはキリスト(しゃ)完全(かんぜん)目指(めざ)しました。毎日(まいにち)のディボーションで、ホーリークラブの会員(かいいん)()げかけられた質問(しつもん)一例(いちれい)以下(いか)(とお)りです。:「(わたし)服装(ふくそう)友人(ゆうじん)仕事(しごと)、または習慣(しゅうかん)奴隷(どれい)ですか?今日(きょう)聖書(せいしょ)(わたし)(なか)()きていますか?使う(つか  )お金(   かね )について(いの)っていますか?(かみ)(そむ)いている(こと)はないですか?キリストのご臨在(りんざい)(かん)じますか?」これらの質問(しつもん)率直(そっちょく)(こころ)(さぐ)られるものでしたが、その目的(もくてき)は、(かみ)対して(たい    )(こころ)(ひら)き、お(たが)いの(まえ)厳格(げんかく)説明(せつめい)責任(せきにん)()たすことによって、霊的(れいてき)純粋性(じゅんすいせい)(たも)つことにあります。

 

ウェスレーは、インディアンへの宣教(せんきょう)活動(かつどう)従事(じゅうじ)するためにイギリスからジョージア(しゅう)航海中(こうかいちゅう)活動(かつどう)()られるように、日々(ひび)規律(きりつ)注意(ちゅうい)(はら)っていました。毎朝(まいあさ)4時から5時まで個人的(こじんてき)(いの)りをし、その()5時から7時までが聖書(せいしょ)()時間(じかん)でした。 7時に朝食(ちょうしょく)をとり、 8時に(おおやけ)祈り(いの  )(はじ)まります。ウェスレーはいつも、9時から12時までドイツ()とギリシャ()勉強(べんきょう)し、正午(しょうご)になるとそれを中断(ちゅうだん)し、(ほか)(ひと)たちと()い、前回(ぜんかい)会合(かいごう)以降(いこう)(なに)をしたか、そして(ふたた)会う(あ )(まえ)(なに)予定(よてい)しているかを(つた)えました。午後(ごご) 1 時ごろ、(かれ)食事(しょくじ)をし、その() 3 時間,船内(せんない)乗客(じょうきゃく)(ほん)読んで(よ  )()かせた。 4時からは、夕方(ゆうがた)(こう)祈り(いの  )(ささ)げ、その()5時から6時まで 私的(してき)(いの)(ささ)げた。(かれ)7時にドイツ(じん)集会(しゅうかい)出席(しゅっせき)し、8時に再び(ふたた  )()人々(ひとびと)(あつ)まり、(すす)め、指導(しどう)した。(かれ)一日(いちにち)(かみ)(たい)する規律(きりつ)ある献身的(けんしんてき)義務(ぎむ)()ちていました。

 

しかし、このアメリカへの航海中(こうかいちゅう)ウェスレーは、モラビア兄弟団(きょうだいだん)聖徒(せいと)たちから信仰(しんこう)第一(だいいち)原則(げんそく)(おし)えらることになります。この航海(こうかい)で、

(かみ)彼ら(かれ  )帆船(はんせん)荒れ狂う(あ  くる  )(なみ)船体(せんたい)()ちつけるのを(ゆる)し、(なみ)甲板(かんぱん)埋め尽(う  つ)くし、(しゅ)()粉々(こなごな)(くだ)かれ、船上(せんじょう)にいた(ひと)(みな)()覚悟(かくご)した。英国人(えいこくじん)のウェスレーは恐怖(きょうふ)(かん)じたが、ドイツ(じん)たちは、危険(きけん)(なか)でも平静(へいせい)(たも)っていたことに()づいた。後日(ごじつ)(かれ)はモラビア(じん)に「あなた(がた)(おそ)ろしくなかったのですか?」と(たず)ねた。(かれ)らは 「いいえ。(かみ)感謝(かんしゃ)します。」と(こた)えた。この出来事(できごと)は、ウェスレーに(おお)きな衝撃(しょうげき)(あた)えました。ウェスレーはモラビア(じん)牧師(ぼくし)捜し出(さがしだ)し、(かれ)相談(そうだん)した。その牧師(ぼくし)はこのオックスフォード・ホーリー・クラブの(きび)しい指導員(しどういん)(こころ)(さぐ)った。スパンジェンバーグ牧師(ぼくし)は 「兄弟(きょうだい)よ、まず(ひと)(ふた)質問(しつもん)しなければなりません。あなたはうちなる証し(あか  )()っていますか?(かみ)御霊(みたま)はあなたの(れい)とともに、あなたが(かみ)()であることを(あか)ししていますか?」スパンゲンバーグはウェスレーが戸惑(とまど)っている様子(ようす)()てこう(つづ)けた。 「あなたは、イエス・キリストを()っていますか?」ウェスレーは「(かれ)世界(せかい)(ぬし)で、救い(すく  )(ぬし)であることを()っています。」と()った。 「そのとおり」とスパンジェンバーグも同意(どうい)した。「しかし、(かれ)があなたを(すく)ってくれたことを()っていますか?」 「(かれ)が、(わたし)(すく)ために()んだことを(ねが)っていますが」とウェスレーは(こた)えた。ウェスレーは、たとえそれを(よろこ)んでいなくても、この(おも)いやりのある牧師(ぼくし)実直(じっちょく)さに感謝(かんしゃ)せざるを得(     え)なかった。ここには、(かれ)()()つめ、(たましい)(おく)(ぶか)くまで(こえ)(ひび)かせる力量(りきりょう)()った(おとこ)がいた。 「あなたは、イエスがあなたを(すく)ったことを()っていますか?」ウェスレーは「()っています。」と(こた)えた。しかし、(かれ)日誌(にっし)のなかで「それは空しい(むな   )言葉(ことば)ではなかったかを(おそ)れる。」と()いている。

 

モラビア(じん)出会(であ)えたこの航海(こうかい)は、どの船旅(ふなたび)よりも実り(みの  )(おお)いものとなった。ウェスレーは、天国(てんごく)(もん)内側(うちがわ)()るのに、規則(きそく)読書(どくしょ)規律(きりつ)だけでは十分(じゅうぶん)ではないと(さと)ったのです。

ジョージア(しゅう)での宣教(せんきょう)経験(けいけん)(あと)、ウェスレーは(つぎ)のような言葉(ことば)(のこ)しています。

 

     ジョージア(しゅう)のインディアンたちにキリスト(きょう)本質(ほんしつ)(おし)えるために、祖国(そこく)(はな)れてから、もう2年と4ヶ月に    なろうとしている。その(あいだ)(わたし)自身(じしん)(なに)(まな)んだかというと、(わたし)最も(もっと  )(うたが)っていなかったことだが、他人(たにん)(すく)   ためにアメリカに()った(わたし)自身(じしん)(すく)われていなかったことである。    

 

ウェスレーがまだ体験(たいけん)していない(すく)いがあることを少しづつ(すこ     )認識(にんしき)していた証拠(しょうこ)は、数年後(すうねんご)(かれ)説教(せっきょう)した「ほぼクリスチャン」と(だい)されたメッセージに(あらわ)れています。(かみ)(よろこ)ばせたいという(こころ)からの(ねが)いについて、(かれ)はこう()いています。

 

     この場所(ばしょ)にいる(おお)くの(ひと)証言(しょうげん)できるように、(わたし)長年(ながねん)にわたってこのように()きてきた。注意(ちゅうい)(ぶか)くあらゆる     (あく)()け、(つみ)(おか)さない良心(りょうしん)(たも)つこと、時間(じかん)有効(ゆうこう)活用(かつよう)すること、すべての(ひと)()いことをしようと(つと)     ること、あらゆる私的(してき)(めぐ)みの手段(しゅだん)()えず注意(ちゅうい)深く(ぶか )使用(しよう)すること、いつでもどこでも、着実(ちゃくじつ)真剣(しんけん)行動(こうどう)  (こころ)がけること、そして(かみ)(わたし)記録者(きろくしゃ)であり、(わたし)(かみ)(まえ)にこれらすべてを誠実(せいじつ)(おこな)っていた。(かみ)(つか)える   という本当(ほんとう)(ねが)いを()っていた。そして、すべてのことにおいて(かみ)御心(みこころ)(おこな)いたいという(こころ)からの(ねが)いもあっ     た。「信仰(しんこう)戦い(たたか  )立派(りっぱ)(たたか)い、永遠(えいえん)(いのち)獲得(かくとく)しなさい」と(わたし)()びかけてくださった(かみ)(よろこ)ばせるために。しかし、(わたし)がこれまでずっと「ほぼクリスチャン」にすぎなかったということを、(わたし)自身(じしん)良心(りょうしん)聖霊(せいれい)によって     証言(しょうげん)している。

 

強靱(きょうじん)肉体(にくたい)厳格(げんかく)規律(きりつ)()ったウェスレーは、個人的(こじんてき)(すく)いを求める(もと    )子供(こども)のような信仰(しんこう)()つことが、つまずきとなることに()づいた。やがて、(かれ)霊的(れいてき)なリアリティーへの願い(ねが )(かな)えられ、1738524 日、(かれ)が「アルダスゲート経験(けいけん)」と()ぶものによって、(かれ)(こころ)確信(かくしん)がもたらされた。

    

     夕方(ゆうがた)(わたし)非常(ひじょう)()(すす)まなかったけれども、アルダスゲート(まち)にあるモラビア()集会(しゅうかい)()った。そこでは、     ローマ(じん)への手紙(てがみ)のルターの序文(じょぶん)()まれていた。午後915分頃、キリストへの信仰(しんこう)によって(かみ)(こころ)   ()こされる変化(へんか)について()まれているとき、(わたし)自分(じぶん)(こころ)不思議(ふしぎ)()えるのを(かん)じた。 そして、キリストが(わたし)(つみ)さえも取り去(と さ)り、(つみ)()律法(りっぽう)から(わたし)(すく)ってくださったという確信(かくしん)(あた)えられた。

 

メソジズムの創始者(そうししゃ)はついに(たましい)安息(あんそく)()つけたのです。ウェスレーの人類(じんるい)対する(たい    )最大(さいだい)貢献(こうけん)は、「クリスチャンの完全(かんぜん)」を明確(めいかく)(おし)えたことでした。(かれ)自分(じぶん)教団(きょうだん)にアルミニウス神学(しんがく)強固(きょうこ)基盤(きばん)確立(かくりつ)しました。瞬間的(しゅんかんてき)(すく)いの経験(けいけん)(とお)して、信仰(しんこう)による義認(ぎにん)強調(きょうちょう)し、回心後(かいしんご)には信仰(しんこう)行為(こうい)によってもたらされる(めぐ)みの(わざ)があり、それによってたましいが原罪(げんざい)から(すく)われることができると(おし)えたのです。(おお)くの批評家(ひひょうか)意見(いけん)とは(こと)なり、ウェスレーは決して(けっ   )(つみ)のない

完璧さ(かんぺき  )間違(まちが)いのない完全(かんぜん)(おし)えず、むしろ生来(せいらい)(つみ)から(きよ)められた(こころ)からくる動機(どうき)純粋さ(じゅんすい   )(おし)えたのです。

 

ジョン・ウェスレーとメソジストの良き(よ )友人(ゆうじん)であるジョージ・ホイットフィールドを()けたのは、この神学的(しんがくてき)(ちが)いでした。ジョナサン・エドワードの説教(せっきょう)はホイットフィールドの考え方(かんが  かた)(おお)きな影響(えいきょう)(あた)え、やがてホイットフィールドはカルヴァン主義(しゅぎ)教義(きょうぎ)受け入(う い)れるようになった。ウェスレーとホイットフィールドは真剣(しんけん)にこの問題(もんだい)について議論(ぎろん)したが、どちらも自分(じぶん)立場(たちば)から(うご)かなかった。ウェスレーはジェームズ・アルミニウスの教え(おし  )支持(しじ)し、ホイットフィールドはジョン・カルヴァンの信条(しんじょう)固執(こしつ)した。(かな)しいことに、ホイットフィールドは、「カルヴァン主義的(しゅぎてき)メソジズム」という(あたら)しい用語(ようご)宗教用語集(しゅうきょうようごしゅう)登場(とうじょう)するほどに、自分(じぶん)奉仕(ほうし)活動(かつどう)予定説(よていせつ)(えら)び)を(くわ)えた。

 

(かみ)はジョン・ウェスレーに(うえ)からの(ちから)(あぶら)(そそ)ぎを(あた)え、卓越(たくえつ)した組織力(そしきりょく)(かれ)(あた)えました。メソジズムは、この(ひと)によって(ととの)えられた霊的(れいてき)基礎(きそ)(つう)じて、世界中(せかいじゅう)()進める(すす   )(ちから)となった。(かれ)改宗者(かいしゅうしゃ)育てる(そだ   )(こと)(すぐ)れていた。ある(ひと)は「ウェスレーは大衆(たいしゅう)影響(えいきょう)(あた)えただけでなく、その(なか)から何千人(なんせんにん)のリーダーを(そだ)てた。」と()いました。


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「聖書(せいしょ)の成立(せいりつ)と構成(こうせい)」
読書宿題
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15.  自由(じゆう)意志(いし)カルヴァン(かるヴぁん)主義(しゅぎ)アルミニウス(あるみにうす)主義(しゅぎ)   討論(とうろん)問題(もんだい)   復習(ふくしゅう)

 

1.                  ジョン・ウェスレーの回心(かいしん)(はなし)で、(なに)印象(いんしょう)(のこ)ったことはありますか?

 

 

 

 

 

2.                  私たち(わたし     )は、人間(にんげん)霊的(れいてき)事柄(ことがら)において自由(じゆう)意志(いし)()っていると(しん)じていますか?

 

 

 

 

3.                  人間(にんげん)(すく)われるために(かみ)協力(きょうりょく)しなければなりませんか?それとも、(かみ)主権(しゅけん)によってのみ達成(たっせい)されるものなのでしょうか?

 

 

 

 

4.                  聖書(せいしょ)は、私たち(わたし    )(すく)われるために(なに)をしなければならないと(おし)えていますか?

 

 

 

 

 

 

5.                  (ひと)(すく)われたままでいるためには、(かみ)(ひと)(あいだ)協力(きょうりょく)必要(ひつよう)だと(しん)じていますか?

 

 

 

 

6.                  なぜ(かみ)はすべての(ひと)本質的(ほんしつてき)善良(ぜんりょう)(つく)られなかったのですか?人々(ひとびと)(かみ)反抗(はんこう)する可能性(かのうせい)が高いことを()っていたにもかかわらず、なぜ(かみ)(わたし)たちに自由(じゆう)意志(いし)(あた)えたのですか?

 

 

 

 

 

 

 

7.                  カルヴァン主義(しゅぎ)では、(かみ)のどの属性(ぞくせい)最も(もっと  )強調(きょうちょう)されていますか?

 

8. アルミニウス主義(しゅぎ)では、(かみ)のどの属性(ぞくせい)最も(もっと  )強調(きょうちょう)されていますか?

 

 

9. (かみ)私たち(わたし    )地獄(じごく)()から(すく)うために十字架(じゅうじか)()くなりましたが、(ほか)(なに)から(わたし)たちを(すく)いたいですか?