1章から3章でパウロは神様の恵みの豊かさについて沢山語っていました。今日は4章から学びたいと思いますが、4章には一致の大切さが書かれています。イエス様を信じている人々はそれぞれ違う考えや過去があると思いますが、皆イエス様を通して一つになる事が出来ます。そして、イエス様を信じる人々はこの一致を大切にするべきですし、それが保たれて更に強くなるために貢献する必要があります。今日はここから皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 

一致の鍵 1節から3節

 

パウロは1節で自分自身の事を「主にある囚人の私」と言っています。31節でも「こういうわけで、あなたがた異邦人のために、私パウロはキリスト・イエスの囚人となっています。」と言っています。パウロはこの時、実際にローマで自宅監禁されている状態で大変でしたが、神様を崇め、神様を彼の主権者として立てていました。パウロは、私たちもどんな境遇を歩むとしても、神様を信じ、信頼し、崇め、神様との関係をもっと深めて欲しいと願っています。1節の後半にはこうあります。「あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。」ここで「召される」とありますが、私たち皆、イエス様を通して一つになったクリスチャンには、神様からの召命があります。それは、この素晴らしい神様の事を皆にお伝えする事です。ヘブル31節「ですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい。」しかし、IIテモテ19節にあるように、私たちの働きによるのではなく、神様の御業が私たちを通して現わされて、皆に良き証となることが大切であり、そのことを覚える必要があります。それは、先週学んだように、29節「行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」「神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、」。私たちは神様の子なので、神様の子らしく歩む必要があるのです。では、神の子らしく歩むとはどのような歩みでしょうか?それは42節と3節にあります。「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。

 

  謙遜と柔和の限りを尽くす。まず、自分自身を低くする必要性があります。これは、高慢の真逆です。高慢は競争を生み出しますが、謙遜は愛を生みます。

 

  寛容を示す。これは優しい霊です。「反抗的」の真逆になります。他の人のことを自分のことのように気づかうことができることです。

 

  愛をもって互いに耐え忍ぶ。神様の愛が私たちの心にある事により、ここで言われているように、愛をもって互いに耐え忍ぶ事が出来るようになります。この事が難しいと思われる状況の時も、自分の間違えや失敗に対する神様の愛と忍耐を思い出すなら、どんな人に対してもこのようになれるのではないでしょうか。

 

  平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。私たちはキリストの体のパーツとして、自分が任された事に忠実である必要性、また、兄弟姉妹との一致を大事にする必要性があります。イエス様も彼について来る人々の一致を求められ、彼らの為に祈られました。私たちの心に聖霊様が宿る事により、「平和の絆で結ばれる」ので、信者たちは自然に一つになる事が出来ます。この一致とはただの形だけの一致ではなく、本当の霊による繋がりです。教会でリバイバルが起き、皆が聖霊様で満たされるなら、皆、本当の意味で一つになる事が出来るでしょう。

 

l  ピリピ23節「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。

 

一致の基本 4節から6節 

 

ここで鍵となるのは「一つになる」事です。皆イエス様に繋がっている人々はイエス様の体の一部です。4節「あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。」例え、救われても、新たな人生をイエス様と歩み出しても、人にはそれぞれの考え方や意見があります。しかし、「御霊は一つ」なので、聖霊様が心に宿る事により、その御霊は私たちを一つに導いて下さいます。もし兄弟姉妹の間で分裂が起きるとしたら、異なった霊が混じっている可能性があります。5節と6節「主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです。」私たちクリスチャンは「一つの希望」を持っています。それは天国であり、永遠の命です。その時こそ皆一つになり、素晴らしい所で神様と一緒に住むのです。天国で一つになる為にも、この地上で一つになる練習が必要なのです。

 

一致へと発展するには 7節から12節 

 

私たちは皆神様の恵みを頂いた者です。7節「しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。」恵みはただで頂いたものです。それは与えられたものであり、私たちが自分の力で得たものではありません。その為、不公平や嫉妬など起こさない方が良いです。私たち自身こうであるならば、これは神様の恵みによりこうなのだと皆納得するべきです。私たちはキリストの賜物を量る事が出来ません。神の御子までが私たちの為に与えられたと考えると、計り知れない恵みが私たちに与えられたと分かります。8節では詩篇6818節が引用されています。「 そのため、こう言われています。「彼はいと高き所に上ったとき、捕虜を連れて行き、人々に贈り物を与えられた。」

 

ローマの将軍はよく戦いに勝利すると、家来たちに贈り物を渡していたようです。また、勝利した者達が町中を行進する時、町の人々も出て来て皆を歓迎しますが、そこでも町の人々に贈り物が渡されました。イエス様も罪に打ち勝ち勝利された時、私たちに贈り物を授けて下さいました。では、それはどんな贈り物でしょうか?11節に、私たちを教える人々を与えて下さったとあります。「 こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。」一番素晴らしい贈り物とは、私たちを罪から解放し、天国に相応しい者となるように導いて下さる人々です。また、これらの「贈り物」の説明は12節にもあります。「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。」ここで「建て上げる」とありますが、ギリシャ語では間違えから正すと言う意味もあるそうです。救われても、きよめられても、死ぬまで私たちには成長する所があるのです。その為、イエス様は私たちが日々霊的に導かれ、成長出来る為にも、教える先生方を私たちに与えて下さっています。彼らは人々を正しい道へと導き、また、聖人となるにはどうすればよいかを教えてくれます。私たちは、神様の働きが出来るまでに成長させて頂く事が出来るでしょう。クリスチャンとして変えられた者は、周りの人々に証をするべきです。クリスチャン達が周りに良き証を立てていないなら、教会は死んでしまうでしょう。

 

l  私たちは牧師や教えて下さる先生方の存在を神様に感謝しているでしょうか?彼らは、神様から私たちに与えられた贈り物です。私たちを正しい道へと導くために立てられているのです。

 

完璧な一致 13節から16

 

私たちクリスチャンの目指すべきゴールへと近づくために、この地上で何をするべきでしょうか?13節「私たちはみな、①神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、②一人の成熟した大人となって、A.キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。」では、私たちが成長していると何を基準に図り、どこまで成長するべきでしょうか?答えは最後の所にありました。「キリストの満ち満ちた身丈にまで達する」までです。

 

子供達は簡単に影響を受け、迷子になりやすいです。どんな教えの風にも吹き飛ばされないように、私たちはキリストに向かってしっかりと成長していく必要があります。14節と15節「こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。」罪の中に生きている人々は悪だくみや悪賢い戦略を考えますが、私たちがここにあるように神様の愛を持って彼らに接するならば、悪に打ち勝つ事が必ず出来ます。体全体には、あらゆる筋々(ふしぶし)つなぎ合わせる部分が必要不可欠です。それぞれの部分が忠実に働きをする事により、より良いキリストの体を築き上げて行く事が出来ます。16節「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。

 

l  たとえ兄弟に何か嫌な事をされても、神様の愛をもって彼に接するなら、いつか悪に打ち勝つ事が出来るでしょう。

 

 

 

ゴールデンテキスト           

 

エペソ4章13節「私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。