今日の33章は再任命されたエゼキエルの事から始まっています。3321節では、エルサレムから逃れる事の出来た人が、エゼキエルに、エルサレムが滅ぼされてしまった事を報告しました。

 

見張り番が選ばれた 1節から6

 

神様は私たちが理解できるように、シンボルや印を使われる事が、聖書に多く記されてあります。また、イエス様はよく例え話を通して、霊的な真実を民達に伝えられました。見張り番は、大きな責任を負わされている仕事です。見張り番として選ばれる者は、信頼されていなければなりません。それは、全ての民達の安全を彼に託すことになるからです。見張り番はいつもよく周りを確認する必要があり、もし危険が皆に迫って来ていたら、「角笛を吹き鳴らす」ようにと3節で教えられています。そこで人々が警告を聞き、行動に移すなら、5節「警告を受けていれば、彼は自分の命を救う」とあります。しかし、警告を受けても、行動に移さず、警告を無視するなら、4節の所にあるように「警告を受けないなら、剣が来て、その者を打ち取る」とも書いてあります。見張り番が民達に、危険が迫っているよと警告すれば、民達が警告を聞くか聞かないかにかかわらず、彼は彼の責任を忠実に果たした事になります。しかし、もし見張り番が周りを確認せず、任務に忠実でなかったら、皆は危険が近づいている事に気づかないかもしれません。その為、警告できないまま、本当に敵が来たら、見張り番も含めて全ての者が滅ばされてしまう事になります。6節に、「しかし、見張り人が、剣の来るのを見ながら角笛を吹き鳴らさず、そのため民が警告を受けないとき、剣が来て、彼らの中のひとりを打ち取れば、その者は自分の咎のために打ち取られ、わたしはその血の責任を見張り人に問う。」とあるように、見張り番は責任を負わなければなりません。

 

不正な者への警告 7節から9

 

7節では、その見張り番として任命されたのがエゼキエルだと言う事が、神様から語られています。「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。」エゼキエルは人々から任命されたのではなく、神様から任命されたのでした。その為、彼には大きな責任が任されたと言う事が出来るでしょう。また、エゼキエルが任された任務は、ただ民達に危険が近くに来ているよと言うだけでなく、民達を悪から立ち返らせなければならない、大きな任務でした。

 

私たちの牧師達も私たちの見張り役だと言う事が出来るでしょう。彼らの仕事は、神様の羊を正しい道へと導く事です。7節にあるように、エゼキエルが民達に伝えなければならない言葉は神様の言葉でした。人間の言葉ではありません。神様からちゃんと言葉を受け取って、忠実に民達に伝えなければなりません。Iコリント121節にはこのようにあります。「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。」ヘブル書1317節にもこのようにあります。「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。」見張り役は、罪の報酬は死ですと言う事も人々に伝えなければなりません。8節と9節にはこのようにあります。「わたしが悪者に、『悪者よ。あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もし、あなたがその悪者にその道から離れるように語って警告しないなら、その悪者は自分の咎のために死ぬ。そしてわたしは彼の血の責任をあなたに問う。あなたが、悪者にその道から立ち返るよう警告しても、彼がその道から立ち返らないなら、彼は自分の咎のために死ななければならない。しかし、あなたは自分のいのちを救うことになる。」神様は罪を見過ごされません。しかし、もし見張り役が神様に忠実であるなら、民達の結果がどうであれ、見張り役が責任を問われる事はありません。IIテモテ45節にはこのようにあります。「しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。

 

絶望的な者に希望 10節と11

 

24章にありますが、エゼキエルの妻の死は、悔い改めないユダヤ人に及ぶ滅びを現わしているようです。2423節にはこのようにあります。「頭に布を巻きつけ、足にサンダルをはき、嘆いたり泣いたりしないようになる。ただ、自分たちの咎のために朽ち果て、互いに嘆き合うようになる。」この「朽ち果て」とは少しずつ腐って行く事を現わしています。罪や汚れた行いは、人々を滅びへと少しずつ導いてしまうのです。10節にはこうあります。「人の子よ。イスラエルの家に言え。あなたがたはこう言っている。『私たちのそむきと罪は私たちの上にのしかかり、そのため、私たちは朽ち果てた。私たちはどうして生きられよう』と。」でも11節で、神様はこのように言われています。「 彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。──神である主の御告げ──わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』」神様は民達に悪から立ち返り、神様から命を得て、生きて欲しいと願われているのです。決して神様は悪者に死んでほしいと願われていないのです。ただ、罪を継続すると、その終わりは滅びなんだよ、と警告しているのです。マタイ1128節にはこのように書いてあります。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」神様から命と安らぎを得る事が出来るのです。それは、神様が私たちの命の源だからです。神様は今も皆を哀れみ、恵みたい、また誰にも滅びて欲しくないと思われています。本当の生きる希望をイエス・キリストから見出してみませんか。

 

 

 

 

 

ゴールデンテキスト

 

イザヤ書626節「エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。【主】に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。

 


 BMC日曜学校テキスト〈大人のクラス〉より

 

翻訳  猪坂 知央