申命記1章から3章では、モーセが神様に、憐れんで下さった事などを思い返して感謝しています。1章には、シナイ山からの旅の中での憐れみの事が書かれてあります。2章からは、約束の地にはなかなかたどり着くことが出来なかったものの、その中でも、ヨルダン川を渡る時の奇跡など、神様の守りと憐れみがあった事などが書かれてあります。イスラエルの民は確かに大変な所を通りましたが、全ての上に神様の守りがあった事が分かります。神様はいつも彼らに必要な物を与え、行くべき道を示し、敵から守り、そして敵に対して勝利をも得させて下さいました。民達は神様に対して感謝する事が沢山ありました。

 

私はあなたを教えた 1節から4節

 

過去の祝福や憐れみを思い返した後、モーセは民達にこの素晴らしい神様に従うように勧めました。1節「今、イスラエルよ。あなたがたが行うように私の教えるおきてと定めとを聞きなさい。」神様の言葉に耳を傾け、それらを心に留め、そして行動に移す大切さが教えられています。モーセは神様の言葉を2つに分けています。一つ目はおきて、そして、二つ目は定めです。モーセの十戒でも、神様に対しての義務と人に対しての義務の二つに分かれています。やはり、私達は神様に対しても、人間に対しても果たさなければならない義務があるのです。その為、私達は神様の言葉を聞くだけでなく、行動に移す必要性があるのです。ヤコブ1章22節にこうあります。「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」そして、イスラエルの民が神様の律法に従うべき理由は1節の最後にあります。「そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたの父祖の神、【主】が、あなたがたに与えようとしておられる地を所有することができる。」この地上で生きる為に、私達には神様が必要です。そして、私達が神様に従う事により、神様は喜んで私達を導いてくださるのです。

 

2節には、神様の言葉に付け加えたり、消したりしてはいけないとあります。「私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、【主】の命令を、守らなければならない。」私達が神様の言葉に付け加えたり、消したりする事により、神様の言葉が変わり、汚され、神様の言葉の力が無くなってしまいます。また、人間が神様の言葉に付け加えるならば、神様の言葉に足りない所があったと言う事になります。そして、私達が神様の言葉を削ると、私達の魂に滅びを招く事になってしまうでしょう。神様の働き、また、言葉は完璧であり、完全なものです。イエス様もこの地上におられたとき、このようにパリサイ人に言っています。マルコ7章13節「こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。そして、これと同じようなことを、たくさんしているのです。

 

3節「あなたがたは、【主】がバアル・ペオルのことでなさったことを、その目で見た。バアル・ペオルに従った者はみな、あなたの神、【主】があなたのうちから根絶やしにされた。」その当時、イスラエルの民達は、それぞれの息子娘たちが他国の人と結婚する事を容認していて、神様の事を知らない人々が増えて来ていたようです。その為、多くの他国の神々の偶像や習わし、などなど多くの罪がイスラエルの人々の中に入って来たのです。*これらの事は民数記25章に記されています。彼らの罪の結果、二万四千人もの命が絶たれてしまいました。

 

4節では、主にすがって来た者達は、生きながらえる事が出来た、とあります。「しかし、あなたがたの神、【主】にすがってきたあなたがたはみな、きょう、生きている。」彼らは主の憐れみのゆえに生かされたのです。世の初めの時も、神様はアダムに、罪は死をうむと説明されました。しかし、その時のアダムは死に対して良く理解していなかったのではないでしょうか。罪は死を生む、しかし、神様に従う者は神の国を受け継ぐともあります。神様に従順である事により、私達は安定と安心の内に生きる事が出来るのです。

 

l 黙示録22章18節と19節「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。

 

これはあなたの知恵である 5節から8節

 

モーセは、人々に神様の言葉を告げるとき、とても気を付けていたようです。5節の最初の所にこうあります。「見なさい。私は、私の神、【主】が私に命じられたとおりに、おきてと定めとをあなたがたに教えた。」人々は神様の言葉を聞き、従わなければいけませんが、牧師や宣教師、また指導者は、神様の言葉を忠実に人々に伝えなければいけない責任があります。それは、人々が神様の導きを聞き、間違った道へと行かないようにするためです。もしイスラエルの人々も神様に従い、そして、上に立つ者の声にも従い、神様の御心の道を喜んで歩んでいたならば、周りの国に対しても良き証を立てる事が出来たでしょう。6節にはこうあります。「これを守り行いなさい。そうすれば、それは国々の民に、あなたがたの知恵と悟りを示すことになり、これらすべてのおきてを聞く彼らは、「この偉大な国民は、確かに知恵のある、悟りのある民だ」と言うであろう。

 

この地上で目的地に着いたとしても、私達は気を緩めてはいけません。荒野で民達が神様に頼り切っていたように、約束された地に着いても、神様に頼り切って歩むべきだからです。

 

罪とは人間と神様の間を引き裂いてしまうものです。しかし、その反対に、主は、主を呼び求める者の近くにいて下さるとあります。詩篇145篇18節「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに【主】は近くあられる。」主が私達の近くにいて下さる事により、周りにも神様の臨在や力が表されるでしょう。

 

l IIテモテ4章2節「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

 

l 国が神様と神様の律法を捨てる時、その国から素晴らしさも離れていきます。

 

 

 

あなたの子孫に教えなさい 7節から10節

 

神様との関係を良好に保つためには、9節に書かれてある通りにするべきです。「ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。」しかし、私達人間の弱い所は良く忘れる事です。だからこそ、私達は毎日聖霊様の助けが必要なのです。ヨハネ14章26節「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」そして、私達が常に罪に対して勝利する為には、常に聖霊に満たされている必要があります。

 

イスラエルの若者たちは、その後に、神様が約束してくださっていた地に入りました。その地に入る前には、シナイ山のふもとで神様の臨在、火と煙を見、地はとどろき、若者達には大きなインパクトが残り、神様の偉大さを身に染みて感じた事でしょう。そこからは、そのイスラエルの若者達が中心となって、神様の民として歩んで行かなければなりません。国や教会を崩す為には、一世代が堕落するだけで十分です。だからこそ、私達は若者達に神様を敬う事、尊敬する事、そして、神様の律法に従って歩む大切さを教えるべきなのです。

 

l 箴言4章23節「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

 

 

 

ゴールデンテキスト

 

伝道者の書12章13節

 

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。