今日の個所では、「御霊」と言う言葉が沢山出てきます。この8章だけでも19回ほど「御霊」と記されています。クリスチャンとして、罪に対して日々勝利を勝ち取る為には、御霊が私たちの内に宿り、力を与えてくださらないと難しいようです。

 

ローマ7章には人が道徳に沿って歩もうとしても、それがどんなに難しいかが描かれています。そして今日の8章では、7章とは異なっていて、人が肉の欲から解放され自由に神の恵みによって歩んでいる事が描かれています。それは、もう御霊に導かれてキリスト者として歩んでいるので、罪を犯して罪悪感に悩まされる事が無くなったからです。これぞ神様が私たちに求められている事です。I ペテロ1章16

 

2節では2つの律法の事が書かれてあり、一つ目は「いのちの御霊の原理」で、二つ目は「罪と死の原理」です。この罪の原理によって歩んでいるなら、自然に罪を犯してしまいます。しかし、御霊の原理によって歩むなら、自然に良い事が出来、良い事をする力も頂けます。私たちはもう罪と死の原理から解放されたのです。

 

3節 この「律法」とは、人々が神様に義と認められる為に、従うべきものとして与えられたものであって、「律法」自体には人々を義とする力はありません。その為、私たちは神様と和解する事が出来ませんでした。しかし、神様はそのままにせず、私たちに御子を送ってくださいました。そこで、神様と私たちの間で和解が生じたのです。イエス・キリストはこの地上で暮らしていた時、神様の前に完璧で義なる歩みをしていたので、まず律法を全うしたと言う事が出来るでしょう。イエス・キリストは神の御子でありながら、それと同時に人間の性質をお持ちでしたが、罪の性質は持っていませんでした。私たちの罪の為に、「罪のいけにえ」となるために来て下さったのです。

 

神様が御子を私たちに送ってくださった理由は、私たちが罪から解放され、自由の身となる為でした。そして、私たちの中に聖霊様が留まることによって、私たちも神様が私たちに求めておられる姿(律法を守る者)となり、神様に喜ばれる者として歩むことができるようになったのです。

 

5節から8節には、どうして肉の心を持っていると、神様に喜ばれる者になるのが難しいかが書かれています。一つは、やはり肉の思いを持っていて、悪い影響を受ければ、悪い性質が引き出されてしまうからです。そして、それに考えや行動が伴ってしまうのです。しかし、御霊が心に宿っていれば、良い影響と導きを御霊から頂く事が出来ます。そうすると、自然に良い事を求めるようになり、そして神様ともっと密接な関係を求め、神様に尽くす事を心から喜べるようになるのです。

 

6節にも「肉の思い」と「御霊による思い」の違いが示されています。罪を犯す事により、霊的死を招いてしまい、神様と永遠に分かれる結果になってしまいます。神様は私たちにそのようになって欲しくない為に、私たちに脱出の道を備えてくださったのです。御霊に満たされて歩む事により、御霊からしつけられるかもしれませんが、御霊は、私たちが聖い者になる為に色々と教えて導いてくださるのです。その結果、神様と平和に暮らす事が可能になります。私たちは決して、神様に対して反抗や敵対する者になりたくないものです。

 

では、クリスチャンとは何でしょう?クリスチャンとは、御霊が心に内住してくだっている人で、御霊に支配してもらっている人のことを指します。しかし、アダムが罪を犯してから、私たちには「死」が定まってしまいました。でも、キリストがあなたの内におられるのなら、この肉体は死にますが、あなたは霊によって永遠に生きる事が可能になったのです(10節)。神の霊が心の内に来るなら、霊的な性質が私たちの中で芽生えます。キリストが私たちの内に留まる事で、私たちの霊が生きるだけでなく、御霊が私たちの全ての中心となってくださるのです。それだけでなく、御霊は私たちが誘惑に打ち勝てるようにも導いてくださるのです。しかし,キリストの御霊を持たない者は,キリストの者とはいえません(11節)。

 

「債務者」とはお金を借りている人を指します。そしてその人は借りた人に支払いをする義務があります。私たちは「肉の欲」から解放された者ですが、その代価は、イエス・キリストが全てあの十字架によって支払ってくださったので、私たちは支払わなくてよいのです。

 

御霊は,私たちが肉に従って歩むと心を痛めます。私たちが変えられる前は、肉の願うままを行っていたと思います。悪い感情や癖が出たりしていたでしょう。でも、神の恵みを受け救われた者は、この弱さを神の霊に支配してもらわなければいけません。パウロも 聖霊様に支配してもらっていました。わたしたちが好き勝手な事をするなら、私たちは聖霊様を悲しませてしまうことになります。私たちが肉によって支配されるのではなく、聖霊様に支配していただくのが、一番私たちにとって良いのです。14節にはこう書いてあります。「神の御霊に導かれる人は,誰でも神の子どもです。」 神の子供とされた私たちは御霊を恐れるのではなく、心から御霊の導きについて行きましょう。聖霊様は私たちを導かれるのであって、無理やり従わせることはなさいません。

 

ゴールデンテキスト

ガラテヤ書516

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。


BMC日曜学校テキスト〈大人のクラス〉より

 

翻訳  猪坂 知央