この8章には、神の子供である事が、どんなに祝福される事であるかが書かれています。

私たちは人間である限り、弱さや制限があります。これはもちろん肉体的、精神的、感情的、また霊的、全て含まれます。やはり詩編10314節にあるように、私たちは土で作られた弱い器だという事です。だからこそ、神の霊によって日々助けられる必要性があるのです。26節と27節にあるように、私たちは何を祈るべきかも分からないような者です。その為、聖霊様が介入して導いてくださいます。「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。」

 

私たちの考えや言葉は完璧ではありませんが、神様は私たちが心から求めているものをよくご存じだと言う事です。

 

28節は「私たちは知っています」と締めくくられていますが、このように「知る」事が出来るのも、神様の恵みなのです。私たちは人間に対してこのようにはっきりと「知っています」とは言えないと思います。それは裏切られたり、がっかりさせられた経験があるからだと思います。しかし、神様は私たちをがっかりさせる事はありません。私たちの為に命まで惜しまなかった方を、私たちは完全に信じる事が出来ます。「神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」今も全ての事を、神様は支配されています。時々私たちは一つの事だけを見て、困惑してしまう場合がありますが、そこを信仰で乗り切って、最後まで結果が出るのを待つと、神様の祝福を見る事が出来るのです。

 

私たちは、神様の知恵と愛によって組まれた計画に沿って進んでいます。そして私たちが神様を愛しているだけでなく、神様によっても愛されている者なのです。だからこそ、全てが私たちの益となる為に行われているのだ、と神様を信頼するべきでしょう。私たちがこのように救われてクリスチャンになった事も、神様の導きと計画だったのです。そして、神様は全ての人に罪から救われて欲しいとも願われています。

 

30節には「あらかじめ定めた人々」とありますが、この定められた人が召された道に歩もうとすると、その者は少しずつ神の御子イエス・キリストに似た者とされ、さらに栄光を与えられるのです。

 

31節にはこうあります。「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」私たちにとって神様の存在は必要で、神様が私たちの味方と言うだけで安心感が湧いてきます。32節には、私たちに必要なものは必ず与えて下さると示されています。また、イエス・キリストは私たちに救いをもたらして下さっただけでなく、私達を導くために、聖霊様を与えて下さいました。時々悪魔は私たちを攻撃してきますが、私たちが神様と共にいる限り、神様の許しなしに、悪魔は私たちに触れる事ができません。35節には「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。」とありますが、私たち自身以外に、私たちをキリストから引き離せる人は誰もいません。悪魔は実際、色々なやり方でクリスチャンを神様から引き放そうとしてきましたが、どんな患難も、苦しみも、迫害も、全てを失って飢え、着る物がなくなっても、神様からの恵みは十分にあり、それまで以上に神様に信頼して歩んだ先輩方が沢山いるのです。そうです。私たち自身が選択しない限り、私たちをキリストから引き離す事は不可能なのです。

 

37節には「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」とあります。私たちに、もし神様が試練を許されるなら、その試練以上に、神様の力と恵みをも与えて下さるでしょう。その為、私たちは圧倒的な勝利者となれるのです。もちろん、私たちだけの力では勝利者になるのは難しいでしょう。しかし、私たちを愛して下さった方によって、私たちはどんな境遇をも乗り超える事ができるのです。

 

ゴールデンテキスト

 

Ⅱコリントへの手紙 214しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。


BMC日曜学校テキスト〈大人のクラス〉より

 

翻訳  猪坂 知央