今日の7節は、イスラエルの民達は約束の地、カナンに入ったら、全てのカナン人を滅ぼさなければならないと神様から言われた所です。カナン人と契約を結んでもいけないし、イスラエルの子供達はカナン人の子供達と結婚してもいけないと言われました。その理由として、4節にこうあります。「彼はあなたの息子を私から引き離すであろう。彼らがほかの神々に仕えるなら、【主】の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主はあなたをたちどころに根絶やしにしてしまわれる。」まず、民達がしないといけない事は、その地を手に入れる事、そして、その地にある全ての偶像を壊さなければならないと言う事でした。

 

 

 

神様からの恵 6節から8節

 

どうしてイスラエルの民達は全ての偶像や偶像礼拝などの習わしをマネしないように、また、滅ぼすようにと言われたのでしょうか?6節に答えがあります。「あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民だからである。あなたの神、【主】は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。」神様はイスラエルの民達を聖く保ちたかったのです。6節、9節、また、12節では「あなたの神、【主】だけが神であり、」と何回も繰り返し言われています。また、へブル書12章14節にもこうあります。「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」ここから見て分かるように、神様は私達にも神様だけに仕えるようにと、自分自身を聖く保つようにと求めておられるのです。神様が民達を聖く保ちたかった理由として上げられるのはこの四つの点です。①神様が彼らを選ばれたから。②彼らには他の国の習わしに従うのではなく、その逆に、真の神様を周りに伝える民となって欲しかったから。③メシヤが生まれるのに相応しい先祖になる為。使徒ペテロはIペテロ2章9節でこのように言っています。「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

 

ではなぜユダヤ人は神様に選ばれたのでしょうか?彼らの武力が他の国に比べて勝っていたからでしょうか?それとも、彼らが富んでいたからでしょうか?これらの理由でユダヤ人が選ばれたのではありません。7節にはこうあります。「【主】があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。」エジプトはその当時、世界のどの国より勝っていて、栄えていました。また、カナンの人々もイスラエルの人々より力は勝っていました。8節では神様は彼らを愛されたからとあります。「しかし、【主】があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、【主】は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。」その為、ユダヤ人は彼ら自身を他の民より勝っている事などでは誇る事は出来ませんでした。ただただ、彼らには神様からのあわれみ、愛、そして恵みがあったのです。Iコリント1章27節にはこうあります。「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。」神様は、賢い者や出来る者を選ばれません。それは、彼らを通して神様の栄光が表れる為です。

 

神様がユダヤ人を選ばれた理由としてもう一つ上げられるのは、神様が信仰の父と言われているアブラハムに約束されたからです。モーセは民達に、神様は約束を守られるお方だと言う事を強調していました(8節、9節、と12節)。

 

l  Iヨハネ4章10節「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 

義なる神様 9節から11節

 

9節「あなたは知っているのだ。あなたの神、【主】だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られるが、」とモーセは、彼らが信じている神様が本物である事をここで強調しています。真の神様こそ、誠実であり、約束を守られるお方。そして、彼はあわれみ深く、主の命令を守る者に恵を千代までも与えて下さるともあります。それと同時に、神様に従う事は必要不可欠であり、心から神様を愛す必要がある事も挙げられています。ヨハネ14章15節にはこうあります。「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」そして、10節と11節にこのようにあります。「主を憎む者には、これに報いて、主はたちどころに彼らを滅ぼされる。主を憎む者には猶予はされない。たちどころに報いられる。私が、きょう、あなたに命じる命令──おきてと定め──を守り行わなければならない。」神様は、神様に反抗する者や罪を見て見ぬふりをしないとあります。神さまの戒めに従い、幸せに暮らす方が私達にとって良い事でしょう。

 

l  ローマ11章22節「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。

 

 

 

神様の祝福 12節から15節

 

10節にあったように、主を憎むものは滅ぼされるとありますが、12節と13節には神様の戒めに従う者には神様の祝福が及ぶとあります。「それゆえ、もしあなたがたが、これらの定めを聞いて、これを守り行うならば、あなたの神、【主】は、あなたの先祖たちに誓われた恵みの契約をあなたのために守り、あなたを愛し、あなたを祝福し、あなたをふやし、主があなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われた地で、主はあなたの身から生まれる者、地の産物、穀物、新しいぶどう酒、油、またあなたの群れのうちの子牛、群れのうちの雌羊をも祝福される。」このように、神様は従う私達を愛して、祝福して下さるとあります。私達は神様の愛がなければ、生きている意味を見出す事が出来ず、満たされる事が出来ないでしょう。神様はアブラハムに砂の数ほど子孫を増やし、祝福すると約束されました。おそらく、ここで言われていた子孫とは、イスラエルの民だけの事ではなく、私達クリスチャンの事も含めての子孫と言う事を言われていたのではないでしょうか?パウロはこのようにピリピ3章8節で言われています。「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、」ヨブは全てを失っても、神様を礼拝し続けました。その結果、彼はもっと祝福されました。私達も神様に従っていてつらい事が起こるかもしれません。しかし、その中でも私達が神様から目を離さず、信頼し続けるならば、私達はより良い祝福を後に受ける事でしょう。とにかく、どんな時にも、私達は神様から目を離さず、礼拝して行こうではありませんか。

 

l  ゼパニア書3章17節「あなたの神、【主】は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。

 

 

 

 

 

ゴールデンテキスト

 

テトス2章14節

 

キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。