ピリピの兄弟姉妹は迫害を受けており、貧しく、大変な所を通っていました。しかし、彼らは何時もお互いに思いやり、親切でした。今日はここから、私たちがどんな事を学べるか、見てみたいと思います。

 

 謙遜な神の御子 3節から8節

 

ここで鍵となる事が二つあります。一つ目の鍵は「一致」です。イエス様は教会の一致を求めておられます。その為、教会の中から争い事が生まれるならとても悲しまれます。パウロはピリピの兄弟姉妹にこのように勧めています。3節「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。」箴言1310節にもこのようにあります。「高ぶりがあると、ただ争いが生じるだけ。知恵は勧告を聞く者とともにある。」やはり、私たちはクリスチャンとしていつもヘリ下り、相手の気持ちを考えられる者でありたいです。4節にはこうあります。「 それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。」

 

二つ目の鍵は、「自己中心的に生きない」と言う事です。5節「キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。」自分の事だけを何時も考え、生きているのであれば、他の人の事を考える余裕があまりありません。しかし、他の人の事も考える事が出来るならば、周りに対して優しくなり、相手もあなたと接する事により幸せになれるでしょう。ではどのような歩みをするべきなのでしょうか?具体的にはどのような歩みの事を言っているのでしょうか?模範となるのが、イエス様です。6節から8節「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。

 

イエス・キリストは、100%神様でありながら天のお父様から離れて、この地上にメシアとして来た事をはっきりとお示しになりました。ヨハネ11節と2節「 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。」イエス様は、神の力を自分の為に(人間的に人気を得る為)使って、奇跡を行うことはありませんでした。それどころか、自分自身を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられたと書かれてあります。イエス様がそのようにされた事は神様の御心であり、イエス様は神様の御心のままを歩まれたのです。イエス様にとって神様の御心の道とは死にまで行く道であり、十字架の苦しい痛みを味わって死ぬということでした。

 

l  Iペテロ55B「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。

 

l  ルカ2227節「食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょうか。食卓に着く人ではありませんか。しかし、わたしはあなたがたの間で、給仕する者のようにしています。

 

神様は彼を高くされた  9節から11

 

イエス様が100%神様の御心通りに歩まれた結果、9節のように神様はされました。「それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。」イエス様は自分自身の力で神様に認めてもらう事をしませんでした。しかし、神様の御心に沿って歩んだ事により、イエス様は皆の主とされたのです。10節と11節「それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。」神様がイエス様を高く上げられたことは、イエス様が死に打ち勝ってよみがえられたことによって明らかにされました。ローマ14節「 聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。」イエス様が死からよみがえられた事により、私たち使徒達の死後のよみがえりの事も示されました。イエス様が天に上げられた後、イエス様は天のお父様の右側に座し、全ての力と権威が与えられました。エペソ120節と21節「この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。」何時か、全ての人間がイエス様の前にヘリ下る時が来ます。その時、愛を持ってへり下るか、それとも、恐怖を持ってへり下るかは私たち次第だと言う事です。

 

l  ルカ1411節「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。

 

l  もしイエス・キリストが神様でないなら、私たちがイエス様を礼拝する事は偶像礼拝になってしまい、神様に対して罪を犯す事になります。

 

神様は今もあなたの内で働いておられます 12節と16

 

12節でパウロはピリピの兄弟姉妹に従順である大切さを伝えています。「こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。」日々祈り、信じ、それを継続していくと霊的成長へと繋がって行きます。12節では私たちが神様に対して従順であるべき事、また、それが私達の信仰の成長に必要不可欠である事が書かれてありましたが、13節では神様が私達の為にして下さる事が書かれてあります。「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」神様は私達に強制的に何かをさせる事はなさいません。その為、神様と私たちの共同行動を通してでなければ、何も私たちの内に神様のみ業がなされないと言う事です。たとえ私たちが神様に従順に従ったとしても、いやいやながら従ったのであれば、それはあまり良くない結果をもたらすでしょう。14節「すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。」私たちが喜びを持って神様に従う事で、それが祝福へと繋がっていくでしょう。また、喜びを持って私たちが神様に従う事により、良き証ともなるのです。

 

どうして私たちが神様に対して従順であるべきか、はっきりとした理由は15節と16節にあります。「それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

 

l  マタイ516節「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。

 

l  マタイ2641節「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。

 

 

 

ゴールデンテキスト           

 

ピリピ書2章5節「 キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。