エピローグ

 

藤岡さんの奥さんは、一月以内に、社宅から出なければならなかった。そのあと、実家に帰るかどうか、迷った。しかし自分の手一本で子どもふたりを育てながら、ご主人の伝道の遺志をつごうと決心した。

さいわい、国立岩国病院の給食係りの仕事があったので、そこに勤めるようになった。今までは幹部社員の若奥様であったのが、一転して、激しい労働につく身となった。

ボーマン夫妻は、本国の教会でぜひ子どもたちの告別式を開かせてほしいと言ってきたので、いったんアメリカに帰った。友人たちは、もう二度と日本に行かないで、アメリカで牧師をするようにと強くすすめた。

ボーマン氏の父親は、病が重く、いつ死ぬかわからぬ身であった。まだクリスチャンになっていないその父親は、ボーマン氏が日本に帰ると言って聞かないので、「お前は、親のわたしと日本人と、どっちがたいせつなのか」と、声をあげて泣いた。

ボーマン氏は、この事故以来、いよいよ日本を愛するようになった。この国の救いのために、子どもだけでなく、自分の命を失ってもかまわないと思った。そして、一月五日に再び岩国の土を踏み、さっそく、藤岡さんの奥さんにふたりの子どもの真紀ちやんと徹君を、新しい家族として自宅に迎えたのである。

…朝、子どもたちの学校に行く時間がくる。ボーマン夫妻とふたりの子ども、それから藤岡夫人は応接間にひざまずき、その日一日のために、互いに祈り合う。それから子どもたちはミセス・ボーマンの運転する車で、それぞれ幼椎園と小学校に送り届けられる。

午後、子どもたちが帰ってくる。さっそく彼らは、ボーマン氏のひざの上にかけあがる。ボーマン氏は、馬になったり、抱きしめてやったり、かつて自分の子にしてあげたと少しも変わらぬことをして、相手になる。

台所では、タ食のしたくのため、ミセス・ボーマンと藤岡夫人が忙しく働いている。時々、信じられないほどの大きな笑い声が聞こえてくる。どちらかが冗談を言って、また笑いのきっかけを作ったのであろう。しかし次の瞬間、ふたりは顔を見合せて涙ぐむ。子どもと夫を失った心と心が、瞬間に通じ合うのだ。そのような時、ミセス・ボーマンは、深い溜息をはきながら、「おお、主よ、日本の魂を救いたまえ」と口にする。ボーマン氏を中心に、今までにない伝道活動が進められるのは間もないことであろう。

再帰国のボーマン夫妻