2025年6月1日~約1年間を通し、キリスト教入門・神学コースで学んでいきたいと思います。只毎回集いたいのに集えない学びたいけど1年間を通すとなれば~???と思う方朗報です!この度HPから見て学ぶ、ことが可能になりました。数年後あ!こんな話してたよねって振り返えり誰かの力になることもあると思います。


第7回子なる神様C(英語・日本語を分けてWord掲載しています。ですのでダウンロード無しで印刷可能です。)


 7.  「子なる神様」 (C) イエス様の神性と人間性

 

        イエス様の神性          ヨハネ 1:1-14 コロサイ 1:15-23

イエスは本当に神なのでしょうか?これは私たちの救いそのものがかかっている重要な問いです。イエス様について何を信じるかが、私たちの運命を決定します。(ヨハネ 8:24) イスラム教徒はイエスを偉大な預言者だと言います。モルモン教徒はイエスがアメリカを訪れたと言います。エホバの証人はイエスが最高の被造物だと言います。これらの宗教はすべて、イエスが神様であることを否定しています。もし誰かが聖書からイエスが神であるという証拠を示してほしいと頼んだら、あなたは示すことができますか?イエスを尊敬しながらも、その神性や救いを信じないカルトや宗教に対処する際に、これが良い情報源となることを願っています。

 

    1. イエス様には人間の父親がいなく、聖霊によってマリヤの胎に宿りました。         マタイ 1:20

マリアとヨセフは二人とも義にかなう聖なる若者で、清らかさを保っていました。二人は婚約していましたが、マリアが妊娠したことを聞いたヨセフはショックを受け、静かに別れるつもりでした。彼がこれらのことを考えていたとき、天使が現れ、マリアが身ごもっている子供は人間の父親ではなく神から来たものであるため、マリアと結婚すべきだと告げました。イエス様は単なる偉大な預言者や教師ではなく、神の子でした。

 

        2. 礼拝を受ける

聖書には、使徒や天使でさえ礼拝されるときにそれを拒否した例がいくつかあります。

コルネリウスはペテロを拝もうとした(使徒 10:25,26)、ヨハネは天使を礼拝しようとした(黙示録 19:10

リステラの人々はパウロとバルナバを崇拝しようとした(使徒 14:11-15

どの場合も彼らは「私たちを崇拝しないでください。私たちは神様ではありません!」と答えました。

しかし、人々がイエス様をひれ伏して礼拝したとき、イエス様は神であるため、その礼拝を受け入れました。

        悪霊たちはイエスの前にひれ伏し、イエスの神性を認めた(マルコ3:11

        ツァラアトにおかされた人がイエス様を礼拝した(マタイ8:2

        使徒たちはイエス様を礼拝した(マタイ14:33

        癒された盲人はイエス様を礼拝した(ヨハネ9:38

        汚れた霊に取りつかれた人はイエス様を礼拝した(マルコ5:6

        女性弟子たちはイエス様を礼拝した(マタイ28:9

もしイエスが単なる良い先生や預言者であったなら、自分が神であることを激しく否定し、人々に真の神を礼拝するよう指示したでしょう。しかし、イエスは神であるため、人間の体をとったにもかかわらず、礼拝を受けることに抵抗がなかったことがわかります。

 

        3. イエスは自分自身を父なる神と同じ地位においた

        イエスは「わたしと父は一つです」と言い、ユダヤ人たちは冒涜罪で石打ちにしようとするヨハネ10:30-33

        「あなたがたがわたし(イエス)を知っているなら、わたしの父をも知ることになります」(ヨハネ14:7

        「わたし(イエス)を見た人は、父を見たのです」(ヨハネ14:9

        イエスと父なる神様は、世界の始めの前から同じ栄光をもっていました(ヨハネ17:5

 

        4. イエスは奇跡を行っただけではなく、罪を赦しました

イエス様は、盲人、足の不自由な人、耳の聞こえない人、口のきけない人、らい病人を癒し、死者を生き返らせるなど、多くの奇跡を行いましたが、使徒たちもイエスの名において癒すことができました。しかし、人々の罪に関しては、

どの使徒も「あなたの罪を赦します」とは言えませんでした。神だけが罪を赦すことができます。

        神は中風の病人の罪を赦します(マタイ9:2

        イエスは、足を洗った罪深い女性の罪を赦します(ルカ7:48

 

  5. イエスは、人間の母マリアに生まれる前から存在していました

イエスはユダヤ人に、1900年以上前に生きていたアブラハムの時代よりも前から生きていたと告げました。「アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです」(ヨハネ8:58この「わたしはある」は、モーセが燃える柴(しば)の前で神様の名前を尋ねたときに、神がモーセに与えた名前と同じです。(出エジプト3:14この名前は、イエスが常に存在し、常に「わたしはいる」と言うことができたことを意味します。イエスには始まりも終わりもありません。

                                イエス様の人間性    (ヘブル 2:9-18

 

神はどのようにして実際に人間になることができるのでしょうか?万物の創造主が、自らを人間の体に限定することは可能でしょうか?神が実際に人間の姿をとられたことを理解するのは私たちにとって難しいことです。神が小さな無力な赤ちゃんになったと考えるのはありえないことです!

 

イエスが神であることを理解することは非常に重要ですが、イエスが超人的な人生を送ったわけではないことを理解することも重要です。ほとんどの場合、イエスは実際に私たちと同じように生きることにご自身を限定されました。

 

イエスはアブラハムの子孫になりました

イエスはユダヤ人になりました。ローマ支配下でユダヤ人として苦しみ、暴君の下で生きることを体験した。ヘロデ大王は、この新しい幼子の王を殺そうとしてエルサレムのすべての赤ちゃんたちを殺しました。彼のいとこであるバプテスマのヨハネはヘロデ・アンティパスによって殺されました。イエスはローマ総督ポンティウス・ピラトによって十字架刑を宣告されました。彼はまた、ユダヤ人のあわれみのない伝統の重みをすべて感じました。彼らは神から与えられた旧約聖書の律法を取り入れ、神の律法を(おぎな)おうとするめに何千もの独自の規則を書き記していました。これらの伝統を適用する際には、慈悲も愛も常識もありませんでした。

 

イエスは肉と血をもつようになった

イエスは100%人間でした。飢え(40日間の断食)、疲労(ひ ろう)(弟子たちが漕いでいる間、船の中で眠り、祈りを捧げて夜を明かす)、孤独(ゲッセマネの園で)に直面しました。弱さ(ゴルゴタまで十字架を運べない)を知り、偏見(へん けん)(ナタナエル)、嫉妬、憎しみ(パリサイ人)、誤解(人々はイエスが王になるために来たと思った)、不便(人の子には(まくら)するところもありません)など、挙げればきりがありません…そして最後に、想像を(ぜっ)するほど残酷な死を経験しました。イエスはこの人生のあらゆる悩みや苦しみを体験しました。そして、そのすべてを通った理由は私たちを愛し、救いたいからでした。

 

私たちと同じように、あらゆる点で誘惑されました

イエスは肉体的にも精神的にも最も弱っていた時、サタンから3度も激しい誘惑を受けました。おそらく何度も諦めそうになったことでしょう。サタンが私たちを誘惑するありふれた誘惑をすべて経験されました。嘘をつくこと、人を(だま)すこと、盗み、高慢、罪深い怒り、絶望などに陥る誘惑もあったと思います。イエスは、人間であっても罪に打ち勝つことができることを示してくださいました。誘惑と戦うために、イエスは一度も神性的な力を用いられませんでした。毎回、誰もが使えるありふれた手段を用いられました。祈り、聖書、信仰、服従、神への愛などを通してサタンの罠から逃れました。私たちもこれらの手段を用いて、イエスと同じように罪に打ち勝つことができるのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7.「子なる神様」(C)イエス様の神性と人間性     
ワークシート

 

 

1.自分の言葉で、未信者に説明するような言葉で、イエス様が確かに神様であることを説明してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                               

 

 

 

 

 

                                                読書宿題

 

 

1.  添付してある「エホバの証人」への伝道ハンドブックの106~130ページを読んでください。(  )