瀬戸の海は冷たけれど

運命の日は、静かに明けていった。 その日、一九六七年(昭和四ニ年)十二月八日は、朝から雪が舞い降り、非常に寒かった。この分では、とうてい小型の発動汽船に乗って、気象情況の悪い海上に出ていくことはできない。実はこの日の晩、宣教師のボーマン氏は、子どもたち四人と日本人のへルパーらをつれて、瀬戸内海に浮かぶ阿多田(あたた)島に伝道に出かけることになっていた。 ボーマン氏の子どもたちは、島に行って、そこの子どもたちと親しくなることを、心待ちにしていた。そのため、「お天気がよくならないと、今晩、阿多田島に行くことはできない」と聞くと、ひどくがっかりして、「行かせてちょうだい」と再三せがんだ。 ボーマン氏は、できることなら、ぜひとも出かけたいと思った。島の子どもたちに、十二月八日にはきっと行くからと、約束した手前もある。その約束を破って、純真な子どもたちの心を傷つけたくなかった。