私たち夫婦の性格は全く違っている。小さなことも気になりせっかちな私と、余り気にしないのんびり屋の妻。不思議な出会いで結ばれて50年。二人揃って、主イエスキリストの子として頂いて、約40年が過ぎました。この春には久々、遠くにいる子ども達家族も揃って、「金婚式」のお祝いを考えていましたが、新型コロナウィルスのため、計画は流れました。

 

「人の心には多くの計画がある。しかし、主のはかりごとだけが成る。人の望むものは、人の変わらぬ愛である。」 

 

 箴言19章21,22節

 

私たちクリスチャンにも、時にハプニングが起こり、思いがけない試練の時があります。最近の試練のひとつは病気でした。これまで病気とは殆ど縁がなかった私が、その朝突然の激しい不整脈と動悸に襲われました。血圧計は測定不能。直ぐにかかり付けの病院へ行きましたが、ここから直接救急車で国病広島西日本療養センターへ運ばれました。

 

生まれて初めての救急車、意識朦朧とした中で、時折名前を呼ばれていることだけは分かりましたが、その後のことはよく覚えていません。後で聞かされたのは、そのとき血圧は上が55、下は35。脈は乱れ脈拍150オーバー。点滴と投薬が続き、数日間同様な状態が続きました。  

 

病名は「心房細動」。当時私は「保護司」をしており、この時3人の保護観察対象者を抱えていました。内2人は、中学を出たばかりの少年と少女。二人は、驚く言動・行動を平気で行う私の手に負えない子で、多忙な中で精神的ストレスが重なったことが原因だったようです。

 

この折は3週間の入院でしたが、4か月後に再発し、救急車で運ばれ、直ちに電気ショック治療を受けました。この治療が功を奏し、心臓の動きも正常に戻り2日だけの入院で帰宅でき、今は投薬と月1回の検査を続けながら今日に至っています。

 

「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである」 

 

 第Ⅱコリント12章9節

 

このみ言葉は最初の入院時、病状が落ち着き、ベッドの傍で祈る妻の姿を見た時に、浮かんだものでした。このとき妻は言いました。「今、教会の牧師先生や兄弟姉妹が祈ってくれているよ! 娘も名古屋の教会の皆様と祈りの鎖で順番に・・・」、涙で語った言葉は、大きな励ましとなり力となりました。共に祈り合える。これは小さな教会ならではの恵みです。

 

入院は日頃の忙しさから解放して下さり、いつの間にか次の詩篇23篇を暗唱させてくださり、現在の暮らしに於いて、日々勇気づけ励まされるみ言葉になっています。

 

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、み名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。

 

 あなたが私とともにいてくださいますから。」   以下 略

 

 

 

クリスチャンは良く祈ります。その祈りは苦しみや悲しみからの解放だけでなく、そのできごとを通し、全てを造られた神のご栄光が示されるためです。人は良い時とか、悪い時とか考えますが、喜びの時は勿論、どんな暗闇の中にも神様はご臨在くださり、その時々に最善の道をお与えになります。

 

「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさんある。」

 

ヨシュア13章1節

 

段々と耳も目も弱ってはきましたが、神様はこう語ってくださいます。後期高齢者となった私たち夫婦ですが、聖書のみ言葉を信じ従い、イエス様の愛を心より感謝し、日々歩んで行きたいと思っています。

    M・M