2025年8月17日 日曜礼拝メッセージです。

ヨハネ

17:13 わたしは今、あなたのもとに参ります。世にあってこれらのことを話しているのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためです。

17:14 わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではないからです。

17:15 わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。

17:16 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。

17:17 真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。

17:18 あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。

17:19 わたしは彼らのため、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。

17:20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします


2025年8月10日 日曜礼拝メッセージです。

「主は心の打ち砕かれたものを癒す」 詩篇147篇3-5節Ⅱコリント12:9 Ⅰコリント10:13 詩篇38:4 Ⅰヨハネ1:9 ヤコブ5:13-16

神は私たちを創造し、一人ひとりに多くの可能性と能力、才能を与えておられます。音楽の才能を持っている人、運動神経が優れている人、器用な人、計算や数学が得意な人‥‥あなたは神によってつくられたユニークな存在です。しかし、悲しいことに、私たちは強み、スキル、才能を持っているのと同じように、弱さ、負債、傷も負っています。それゆえに苦しんでいる人のなんと多いことでしょう。では、クリスチャンである私たちは、自分の弱さや重荷に対して、どのように対処すればよいでしょうか?

 

1まず、私たちの弱さは益となる可能性があることに気付く必要があります Ⅱコリント12:9 強い人は自分でできると感じているので神様の所に来るのが難しいです。しかし、弱さや重荷を負っていると、神様に助けを求めやすいでしょう。ですから、弱さは祝福となり、それによって神様に出会い、大きな恵みを体験する可能性があるのです。2神様は私たちが負いきれないものを与えません Ⅰコリント10:13 神は、私たちの信仰が成長するために試練を与えることがありますが、私たちがどれだけのことを処理できるかを知っておられ、負いきれないほどの大きな重荷や試練を与えることはありません。3罪はあなたがたが背負わなければならない重荷ではありません 詩篇38:4 罪は重すぎます。神は、私たちが罪の小さな点の一つでも背負うことを望んでおられません。イエス様は、私たちを罪と死から解放するために、私たちの罪を負って死なれました。Ⅰヨハネ1:9 一つの罪でも、私たちが背負う必要のない重荷なのです。4では、私たちはすべての重荷、弱さ、そして罪の残骸をどうすべきでしょうか? ヤコブ5:13-16 重い負担を感じていませんか?心が折れていませんか?傷や傷跡、ありませんか?感情、心はストレスや心配でいっぱいでしょうか?あなたの心や人生に、キリストにあっての自由を妨げている罪はありますか?自分の弱さを神に感謝したことがありますか?その弱さのお陰で神様を求めたのかもしれません。神はそれを善のために用いてくださいました。あなたはもうすべての傷を神に捧げましたか? 神は癒すことが出来ます。


2025年8月3日 日曜礼拝メッセージです。

「完全に神様の者」   ローマ121,2

12:1 ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。

12:2 この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。

 

私たちは器であり、私たちの器がまだ自己と罪と利己的な欲望で満たされているなら、神が私たちの心を神の素晴らしい臨在と祝福で満たす余地がありません。だからこそ、パウロは、私たちのからだ、器、心を完全に神に捧げることを勧めているのです。(ナザレン教団の諌山信美先生は、祈って自分の計画を手放して神様に完全に委ね、きよめられてから神様に大きく用いられました。)

「ふさわしい礼拝」神様とのお交わりをもっと楽しみたいですか?もっと神様を愛したいですか?人々が救われるのを見たいですか?自分自身を神に捧げてください。それは素晴らしい礼拝方法です。「聖なる(捧げもの)」様は、私たちを聖く愛に満ちた者にするために、私たちが降伏してすべてを捧げるのを待っておられます。「この世と調子を合わせない」あなが、完全に神の者であるなら、この世のスタイルややり方はあなたにとって重要ではありません。あなたの主な願いは、神を喜ばせることになります。「何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになる」なぜクリスチャンは弱いのでしょう。なぜいつまでもベビークリスチャンなのでしょう。なぜ神の御心やクリスチャンの基準を理解するのに苦労するのでしょう。まだ人生のハンドルを、自分自身が握りしめているからです。神様に教え導いて欲しいなら、成長したいなら、あなたはハンドルを握りしめるのをやめて、神様に明け渡さなければなりません。

 

求めて、祈りましょう。


2025年7月27日 日曜礼拝メッセージです。

「誰も滅びることがなく」   第二ペテロ3314

私たちは、永遠の神によって設計され、創造され、維持されている惑星に住んでいます。神は私たち一人一人の名を呼び、ご自身に引き寄せようとしておられます。私たちは人生を最大限に生きるだけでなく、創造主を認めてそのお方の律法に従って生き、御心を行うためにも創造されました。今日の聖書箇所を読むと、神が全てを創造しただけでなく、いつかこの地球、宇宙を終わらせる時がくることがはっきりと分かります。

 

聖書には、今までにも神が正しい裁きを下したことが書かれています。その一つがノアの時代の洪水です。地は暴力と罪に満ちていて、神を愛する者はノアとその家族だけでした。それで、神は洪水によって地を一層することを計画されました。しかし、その前に人々に悔い改めるチャンスを与えました。ノアに箱舟を造るよう導き、ノアは箱舟を造りながら人々に神様の御心について語りましたが、ノアの家族以外は信じることなく洪水で滅びました。また、他にも、神は、残虐で罪深いニネベの町を滅ぼすことにしましたが、滅ぼす前に預言者ヨナをその地に遣わしました。その結果、ニネベの人々は悔い改めて、王も民も断食して悪から立ち返り、神に叫び求めたので、神はニネベを裁く必要がありませんでした。さて、私たちが生きている今の世界はどうでしょう、神はこの世を見てどのように思っておられるでしょうか? 戦争、暴力、児童ポルノ、あらゆる種類の犯罪が横行しています。いつか神はもう十分だと言われ、この世界は終わりを迎えるでしょう。時間も仕事も、健康もこの肉体もいつかは滅びる一時的なものです。しかし、魂は残ります。今日、あなたの魂の状態はどうでしょうか?永遠に続くこの魂の健康のためにどれだけの時間を費やしていますか? 神が全てを裁くために来られるとき、罪赦されたものだけが天国に行くことが出来ます。あなたの罪は赦されていますか?まだこの世と罪とにしがみついていますか?それらを手放して、すべてを神に明け渡してください。神は、憐れみ深いお方です。一人として滅びることを望んではおられないのです。イエス様はそのために十字架の苦しみを通ってくださいました。あなたやあなたの家族を救いたいと願っておられます。祈りましょう。


2025年7月20日 日曜礼拝メッセージです。

「信じる信仰とはどのようなものか」 ルカ84055

今日の箇所は、病で生死をさまよっている12歳の娘の癒しを求めてイエス様に頼ってきた必死のヤイロの話から始まって、12年間長血を患って苦しいでいた女性癒しの体験、そこに娘の訃報。「恐れないで、ただ信じなさい。」…のイエス様の言葉に支えられ、死んだはずの娘のよみがえりを体験するまでが描かれているところ箇所でした。ここから「信じる信仰とはどのようなものか」ということが4つほど学べると思います。

 

一つは「信仰とはイエスに頼る」ことだと言えます。ヤイロも、長血を患っていた女性もイエス様に頼りました。病気の子どものことで、頼って来たヤイロ、どこに頼ってもダメで、この方にかけてみよう…という「藁にもすがる」思いで頼ってきた病気の女性。是非皆さんにお勧めします。勇気を出してイエス様に頼ってごらんなさい、救いと、あなたの必要がそこにありますよ。二つ目は「信仰とは、信じる気持ちでイエス様に触る」ことです。長血を患っていた女性は「この方の衣に触れさえすれば、私は救われる」と心のうちで考えて、その衣のふさに触れた…わけです。その時、女性はイエス様から力を引き出したというのです。思っているだけでなく手を伸ばしてイエス様に触れる、ここに信仰の極意があると言えるのではないでしょうか。三つ目は「信仰とは神の力を引き出すもの」と言わせていただきます。クリスチャンの中でまだこれをご存知ない方がいるとしたら、もったいないことですね。とても損をしているとも言えます。それを体験出来たら、信仰が燃えるのを知ることでしょう。イエス様は言われました求めなさいそうすれは、与えられます。探しなさい、そうすれば見つかります叩きなさい、そうすれば開かれます」と。4つ目のは「信仰とは絶望の中でも、信じ、疑わないもの」です。娘の癒しを切望するヤイロにもたらされた知らせは「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすことはありません」でした。どれほどのショックを感じたことでしょう。途中で時間をとった女性のせいにしたい衝動も感じたかもしれませんね。でも、ヤイロはイエス様の「恐れないで、ただ信じなさい」という言葉で、支えられたのでしょう。これが信仰なのではないでしょうか・・・


2025年7月13日 日曜礼拝メッセージです。

「義と認められて家に帰った」    ルカ18章9-17節

イエス・キリストはなぜ地上に来られたのでしょうか? 人間性を体験するため、神の愛を示すため、だれが神であるかを示すため…これらすべのためです。しかし、イエス様が地上に来られた主な理由は、罪の恐ろしい重荷と呪いから人類を救うためでした。アダムとエバは神様の言いつけに背いて最初の罪を犯し、カインは嫉妬からアベルを殺しました。最初の罪から、罪は様々な形で表れてきました。私たちが大罪と呼ぶ殺人、強盗、姦淫、戦争、暴力…、私たちが小さな罪と思っている嘘、浮気、嫉妬、高慢、ゴシップ、赦さない心、不信仰、神への不従順…神様の目には、これらはすべて罪です。そして、聖書は、すべての人は罪を犯し、罪の報酬は死、神も希望もない死であると明確に教えています。この事を踏まえて今日のたとえを見てみましょう。パリサイ人は宗教的な人でした。トーラーを読み、表向きは正しい人生を送り、周囲の人から尊敬され、リーダー的存在でした。しかし、イエス様は彼らを「口先では敬っているがその心は遠く離れている」「外側はきよめるが内側は強盗と放縦で満ちている」と言われました。パリサイ人は罪人でしたが、それを隠して良く見せようとし、神様も内側は見えないと思っていました。取税人は、軽蔑されていて強盗や遊女のように扱われていました。ユダヤ人からローマのために税金を徴収し、しかも合法的な税金以上にとりたてて私腹を肥やしていました。つまり、この二人とも罪を犯しており、罪を背負ったままで神のもとに行ったことが分かります。そして、二人とも神殿に行って神に祈りました。それは素晴らしい一歩です。今私たちは特別な場所に行かなくてもいつでも、どこにいても神様のもとに来て祈ることが出来ます。パリサイ人は祈りの中で、他の人がどれほど罪深く、自分は立派であるかを宣べましたが、それはただの儀式にすぎませんでした。神様は実際に彼を助けることはできませんでした。取税人は、自分の罪を自覚していてその重みを感じていました。彼は神様から助けを受けるために最適な状態でした。神の御前に自分を低くする者は高くされるのです。パリサイ人は来た時と同じ状態で家に帰りましたが、取税人は義と認められて家に帰りました。神様は、過去と現在の罪を赦し、将来の罪を避けるための恵みと力を与えて下さいます。へりくだって神に近づきましょう。


2025年7月6日 日曜礼拝メッセージです。

6/277/8 アメリカからBMI伝道チームが来日。

76()の礼拝では、聖書宣教教会の神学校(BMI)についての説明と証をしてくださいました。

神学校は、青年たちが神様のこと聖書のことを学び、また、自分の生活における神様の御心について知るための学校です。

 

マタイ4:18-22「イエス様と共に神学校に行く(学ぶ)」(パンコースト先生より)イエス様は、若者を訓練するためのパターンを残してくださっています。イエス様は、ご自分が天に昇る前に若者を訓練する必要があることをご存知でした。その方法は、非常にシンプルです。まず、若者に弟子になるよう声をかけました。父親に声をかけたのではなく、ゼベダイの息子たち(若者たち)に声をかけました。その3年後にイエス様が天に昇る時が来ても、彼らがイエス様の働きを引き継ぐことが出来るためです。すべての人か働きに招かれていますが、特に若者が呼ばれることが多いです。イエス様は若者を弟子にして、彼らはイエス様と一緒に暮らし、旅をし、イエス様に従いました。漁師の仕事を捨てて、自分の時間もエネルギーも注いで、奉仕に参加し、イエス様と天のお父様の交わりを見、また、イエス様が人を癒したり助けたり赦したりする様子を全て見ていました。イエス様とたくさん会話をしました。また、イエス様は再臨についても多く語りました。イエス様が十字架で死んで、よみがえり、天に戻る前には、弟子たちに特別な戒めを与えました。「全世界に出て行って、福音を宣べ伝えなさい。そうすれば、私は共にいる。しかし、その前に、聖霊を受けるまでエルサレムに留まり、力を受けなさい。」このイエス様の模範に倣って、神学校は若者たちのために開かれています。生徒たちは、アメリカ全土から、仕事をやめたり、家族を離れたり、たくさんの犠牲を払って集まっています。そして、彼らを愛している教師たちと共に過ごし、学んでいます。教師たちは、彼らの良い模範となっています。神学校では、コーラスや楽器を学んだり、神学の学びをしたりします。授業の間に、チャペルが開かれます。この様に4年過ごし、奉仕のために整えられて、それぞれの働きに向かうのです。その後、青年たちもBMIについて説明と証をしてくれました。


2025年6月29日 日曜礼拝メッセージです。

「わたしがクリスチャンである理由」    ヨハネ19-12

1:9 すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。

1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。

1:11 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。

1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。

BMI福音チーム(8)を迎えて、礼拝が行われました。彼らの証を聞くことが出来、クリスチャンホームで育った方もいれば、両親が離婚して育児放棄や虐待を体験しながら育った方もいますが、それぞれに神様の恵みによって救われ、きよめられて輝いておられます。喜びと感動が伝わって来て、共に主を崇め、賛美し、礼拝しました。また、チェロ、ギター、バイオリンの演奏もしていただき、感謝でした。ぜひ、教会のホームページから6月29日の礼拝の音声を聴いてみてください。

その後、ジャステン先生からメッセージがありました。ヨハネ1912節の御言葉と先生の証を通して「わたしがクリスチャンである理由」について語られました。わたしがクリスチャンである理由…

    創造主が絶対にいると知り、そのお方(神様)について知りたいと思ったから。自然、宇宙、地球と太陽の丁度良い距離、地球だけがいのちを保つ条件を備えている、などについて知れば知るほど、偶然や進化によらずこれらを創造した神様がおられることがわかる。

    神様が、イエス・キリストを通して愛を示した。その愛を感じたから。

    神様が、私はそのままでは天国には行けないと語って下さったから。罪深い心のままでは天国にふさわしくない。そのことを知って、神様に「ごめんなさい、赦してください」と祈って救われた。

 

    神様の導き、招きがあり、神様がはっきりと救われる道を示してくださったから。神様はすべての人にチャンスを与えている。そのチャンスを生かして、救われ、きよめられて、心から感謝の日々です。


2025年6月22日 日曜礼拝メッセージです。

「祈りの隠れ場で守られ」 

詩篇911節、マタイ66節、詩篇626

 

氷山の90%は水中にあるように、私たちの霊性に関しても見える部分はほんの一部分です。人はその見える部分で判断しますが、神様は私たちの一日中、すべてを見ておられます。あなたはどれほど神様の近くにいますか?神様があなたの霊的な隠れ場であることについてどれほど知って、体験しているでしょうか? あちこちで戦争や紛争が起きている今、人々は危険を感じていますが、さらに、霊的な危険が私たちに迫っています。テレビやユーチューブを通して、サタンが家庭に世俗的な影響を及ぼしています。もともとは間違っていると思っている多くのこと‥だんだんと慣れてきて、当たり前に思えてくるのです。LGBTQのライフスタイルなどについてのあなたの考えは、聖書を読んだり祈ったりする時間と、テレビやユーチューブなど世俗的なことに費やす時間とに直接的に関係しています。それについて聖書は何と言っていますか?この世は何と言っていますか?そして、あなたはどう思っていますか?百年前、男性か女性かを見分けるのは簡単でした。アメリカの公立学校で聖書が教えられていた頃です。その後、映画やハリウッド、戦時下での影響などにより、今ではアメリカでスカートをはいて長い髪をした男性を町で見かけることは珍しくありません。サタンは、神様が創造した男と女を憎み、神様が創造した秩序を歪め、捻じ曲げ、破壊するためにできる限りのことをしているのです。サタンの考えに従ってLGBTQのイデオロギーを受け入れてしまうと、深刻な結果を招くことになります。私たちの唯一の守りは祈り深い生活、隠れるのに一番安全な場所は全能者の陰です。アブラハムもダビデもイザヤも、そして、パウロも神様が私たちの隠れ場であると言っています。罪に陥ってしまいそう、世の圧力に負けてしまいそう、妥協してしまいそう…そんな時、あなたはどうしますか?隠れ場はありますか?聖書をもって一人になれる所に行き、神様の御前で静まり、神様の御声を聞きましょう。祈りの秘密の場所は、クリスチャンの勝利の場です。人生の嵐と誘惑を乗り越えるために、祈りの隠れ場で過ごす時間、これ以上重要なことはありません。


2025年6月15日 日曜礼拝メッセージです。

4:1 さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。

4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、

4:3 平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。         

 

6/15の日曜の礼拝は、証しと賛美の礼拝でした。

ひとり一人の上に、神様が豊かに届いていてくださること、感謝します。


2025年6月8日 日曜礼拝メッセージです。

「ペンテコステ」 

使徒2:14、ヨエル2:2829、マタイ3:11、ルカ11:9,13

聖霊が与えられることは、ずっと以前から約束され、待ち望まれていました。このヨエル書は、ペンテコステの約700年前に預言されました。マタイ3:11「私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。」このバプテスマのヨハネの言葉は、約3年半前に語られました。

そして、聖霊が降る前、弟子たちは期待に胸を膨らませて同じ場所に集まって待ち望み、祈り、信じていました。なぜ弟子たちには聖霊が必要だったでしょうか? 彼らは疑いと恐れに満ちていましたし、とても自分たちの力で世界に伝道することはできませんでした。ペテロは3度もイエス様を否定しましたし、ヤコブとヨハネは、だれが一番偉いか論じ合っていました…弟子たちは皆、イエス様が捕らえられた時にイエス様を見捨てて逃げました。彼らは、十字架と復活を目撃しましたが、それ以上のものが必要だったのです。聖霊が臨んでいなければ、彼らは羊飼いのいない羊のように、自分たちの進むべき道を見失い、誤った教義に引き込まれたり、大胆にイエス様の御名を宣べ伝えることが出来ず、最後まで忠実でいることもできなかったでしょう。120人の弟子たちは、一つの目的、約束された聖霊を受けるために集まって、一致して祈っていました。無関心だったり、生ぬるいものはおらず、みんな真剣でした。だから、そこにいた者全員に聖霊が降ったのです。

「激しい風が吹いて来たような響きが起こり…」風は見えませんがその影響は大きい。聖霊も同じです。「炎のような舌が分かれて現れ…」それは一人一人の上にとどまりました。火は神様の喜ばないものを全て焼き尽くし、愛を与えます。「他国のいろいろなことばで話し始めた」そこに集まっていたすべての人が理解できる言葉で語りました。今でも、神様はクリスチャンに聖霊を注ぎ、聖霊で満たしてくださいます。 


2025年6月1日 日曜礼拝メッセージです。

「世の人は私たちを見て、クリスチャンであることを悟れますか? Ⅰペテロ1:1416、ヨハネ13:3435、Ⅱコリント13:13

私たちはキリストに従うもの、クリスチャンです。クリスチャンという言葉の意味は「小さなキリスト」です。ある家に生まれると、家族の一員として同じものを食べ、同じような習慣を身につけるように、クリスチャンは神の家族に加わりイエス様に倣ってライフスタイルを習得していきます。

神の家族の一員としての家族のファミリーコード(家族のルール)、どんなものがあるでしょうか…(ヨハネ13:3435新約聖書によると、初期のクリスチャンは、一緒に食事をし、一緒に祈り、持ち物を分け合い、中には自分の持ち物を売って困っている人を助ける者もいたことがわかります。彼らは互いに愛し合っていました(別紙資料参照)。私たちはどうでしょうか?互いに愛し合い、敵に善行を行い、旅人を兄弟姉妹のように扱っているでしょうか? (Ⅰペテロ1:15イエス様が聖なる方であるように、聖なる者となる。初期のクリスチャンは、純粋で正直者として知られていました。彼らは、真実を語る、罪から遠ざかっている、性的な罪を犯さない、偽りの神々を礼拝しない、立ち居振る舞いや服装が慎み深いことで知られていました。私たちはどうでしょうか? 経済的に苦しくても税金をきちんと支払っていますか、駅やレストランで子供の年をごまかしていないでしょうか、倫理的で良心的でしょうか。社会的圧力があるときでも偶像にひれ伏さず、真の神だけを礼拝しているでしょうか。Ⅰペテロ3:4にあるように、柔和で穏やかな霊、心の中の隠れた人を飾りとし、慎み深い服装を心掛けているでしょうか。不道徳で性的な罪に誘惑するものを避けているでしょうか。

この様に生きることは可能でしょうか? 聖霊の力とイエス様との親密な交わりによってのみ可能です。イエス様が私たちのきよさと愛の源です。多くの教会は愛を説きますがきよめを教えません。パリサイ人には愛がありませんでした。私たちにはその両方(愛ときよさ)が必要です。

Ⅱコリント13:13「 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」