2022年11月13日礼拝メッセージです。

「神よ、私を探り、私の心を知ってください」

                                           Ⅱコリント13:5

私たちは定期的に健康診断をしてもらう必要がありますが、それ以上に霊的な健康診断が重要です。魂は永遠だからです。パウロは、Ⅱコリント13:5でそのことを述べています。病院で問診するように、霊的な健康診断のためにいくつかの質問をしてみます。・あなたは救われていますか? ・救われた後に罪を犯しましたか? ・もし罪を犯したならどうしましたか? その罪を告白して赦されましたか? ・きよめられましたか? ・きよめられていないなら、なぜ? ・きよめられないままなのは何が原因でしょうか? ・きよめられたいと願っていますか? ・恵みのうちに成長しているか、それともとどまっていますか? ・霊的に後退しているでしょうか? ・神様に対していつも「はい」と言っているでしょうか? ・神様の御心に対して反抗していますか、それとも委ねていますか? ・定期的に祈ったり聖書を読んだりしているでしょうか? ・それは形だけ、それとも神様との本当の交わりでしょうか? 自己診断だけでは不十分で、神様に吟味していただく、神様に探っていただく必要があります。時間を十分とって、神様と二人きりになり、神様の御言葉である聖書を開いて、「神様私の心を探って、示してください。」と求めましょう。(詩篇139:23,24)日本語で「傷ついた道」と訳されているヘブル語の単語には四つの意味があります。痛み…感情的に、肉体的に。イエス様にあなたの痛みを告げなさい。イエス様はひどい痛みを知っておられますから、あなたの痛みを分かってくださいます。傷跡…感情的に傷ついている。それらは霊的な妨げと成りえますから、癒し主であるイエス様の所に持って行きましょう。罪…罪は神様との隔ての壁となります。どんな罪でも示していただいて罪から解放されましょう。偶像…神様より愛しているもの…自分自身、お金、仕事、学校、所有物など。神様が第一であるべきです。全ての罪を告白して心からイエス様は神の御子であり私の個人的な救い主であると信じるなら、そしてイエス様に従って光のうちを歩み、日々罪に対して勝利し、はっきりとした証をもっている、御霊が証してくださる、これらが救いの証明となります。(ヤコブ4:6-8)神様に近づき、従いましょう。


2022年11月6日礼拝メッセージです。

「イエスは何百年先のご自分についての預言を成就する」

それぞれの宗教に経典と呼ばれるものがある中、聖書が真に神の御言葉であるとどうやって知ることができるでしょうか? 聖書が神の御言葉であるという一つの証拠は、何百というイエス様に関する預言が、数百年あるものは数千年前に預言されたにもかかわらずイエス様によって成就していることです。マタイ伝はユダヤ人に向けて書かれているので、メシヤについての預言がたくさん書かれています。

1、   処女が男子を生む イザヤ7:14, マタイ1:18-20

2、  ベツレヘム出身  ミカ5:2、マタイ2:1

3、  先駆者(ヨハネバプテスマ)についての預言 イザヤ40:3, マタイ3:1-3

4、  癒し主 マラキ4:2

5、  30枚の銀貨で売り渡される ゼカリヤ11:13, マタイ27:3,7

6、  十字架 詩篇22:1, マタイ27:46, 詩篇22:7,8, マタイ27:39,43

       詩篇22:14, ヨハネ19:34, 詩篇22:15, ヨハネ19:28

       詩篇22:16, ルカ24:39, 詩篇22:18, マタイ27:35

ある人はこう思うかもしれません。「イエス様の弟子たちが、イエス様が地上に来られたのちに旧約聖書を作り上げて聖書全体を書いたのでは?と、いいえ旧約聖書はイエス様がメシヤであるとは信じていないユダヤ人によって書かれました。ユダヤ人は旧約聖書を書き写す時に、一字一句間違えないように、入浴して特別な服を着て気を付けて手書きで書き写しました。新約聖書は、すべての預言が世界の救い主であるイエス様によって成就されたのを見たクリスチャンによって書かれました。両者はある意味対立していたにもかかわらず、(預言と成就)一致しているのです。 ペンテコステの後すぐに、弟子たちはイエス様がメシヤについての預言をすべて成就したことを示しましたから、3千人、5千人と多くのユダヤ人が信じて救われたのです。

イエス様は私たちの罪のために十字架で死にました。私たちを救うために来られたのです。あなたもイエス様を救い主と信じ受け入れませんか?


2022年10月30日礼拝メッセージです。

「赦し」 マタイ1821-35節  マルコ6:1415, ルカ23:33-34

誰かを三回目までは赦す、つまり4回目からは赦さなくてよい、というのがユダヤ人の習慣でした。ですから、ペテロが21節で「…7回まででしょうか。」と言ったとき、彼は自分の心が広いと思っていました。しかし、イエス様は22節「…7回を70倍するまで…」と言われました。つまりは限りなく赦しなさいということです。イエス様は続けて、1万タラントの負債を免除してもらった家来が、王様に免除してもらったすぐ後に、自分に百デナリ借りのある仲間を責めて牢に放り込んだ、それを聞いた王様はその家来のことを怒って負債を全て返すまで獄使に引き渡したというたとえ話をされました。1万タラントの負債を負っていた家来のように私たちの負債はかなり大きいものでした。私たちは罪におぼれて、自分ではどうすることもできないでいました。傲慢、憎しみ、嘘、わがまま、争い、福音を拒む、堕落、偶像礼拝などなど。神様の恵みは、そんな私たちの罪を全て赦してくださったのです。赦された私たちは兄弟姉妹や周りの人々、敵をも赦しているでしょうか。神様にとって「赦し」は非常に重要です。私たちが赦さなければ私たちも赦されないと神様はおっしゃいます。イエス様は「赦しなさい」と言われただけでなく、ご自分を痛めつけて十字架につけた者たちを赦して「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」と祈られました。

コーリー・テン・ブームはオランダ人で、第二次世界大戦中にドイツの収容所に入れられとても苦しい中を生き延びました(ホロコースト生存者)。彼女はクリスチャンで、戦後ヨーロッパを回って赦しと癒しについて語りました。そんなある日、集会の後に一人のドイツ人男性が握手を求めてきました。彼は収容所で看守をしていた人で、それに気づいた彼女の心は凍り付いて…しかし、祈り、再び祈って握手したその時彼への赦しと愛の心で満たされました。それは自分の力ではできません。神様の力によらなければ! 本当の赦しはその相手を助けるだけでなくあなた自身を自由にします。


2022年10月23日礼拝メッセージです。

「教会は祈りと癒しと賛美の場です」

マタイ2112-16節、使徒431節、ルカ13:10-13、へブル1312-15

 

エルサレムにある宮は、きよい場所でした。布で作られた幕屋から始まり、ソロモンの時代に金や切り石で美しい神殿が建てられました。その宮はバビロンによって壊され、クロスの時代に2番目の神殿が建てられましたが、あまり立派なものではありませんでした。イエス様の時代の宮はヘロデによって、ユダヤ人がメシヤの出現を望まず満足するために、ソロモンの時の神殿より素晴らしい宮が造られていました。しかし、形は立派でも神様の臨在はなく、金がたくさん使われていてもきよい礼拝はなく、儀式と形はあってもまことの礼拝は行われていませんでした。神様を礼拝する場が売り買いの商売の場となってしまっているのをご覧になったイエス様は聖なる憤りを覚え、売り買いしている者たちを追い出しました。その一方で、目の見えない人たちや足の不自由な人を癒されたのです。

神の家は祈りの場です。ハンナにはこどもがなく悲しい思いをしていましたが、宮に来て泣きながら主に祈り、後に偉大な預言者の一人となるサムエルが生まれました。また、イエス様の弟子たちはペンテコステを体験していましたが、祈るために集まっていた時に再び聖霊に満たされました(使徒4:31)。ここで持たれている土曜日の祈り会は、日曜日の各集会の祝福を求め、特別な祈りの課題について祈る素晴らしい時です。

癒し 宮で売り買いする者たちが追い出されたあとすぐに、イエス様は病気の人を癒し、目の見えない人の目を開き、歩けなかった人の足を直しました。ルカ13:10-13 今私たちは宮ではなく、教会や修養会場で神様を礼拝します。それらの場所をきよい場として捧げ、神様は何度もそこで私たちに出会って下さり、人々が救われ、きよめられてきました。特別な場所です。教会は癒しと祝福の場です。まことの従順と礼拝が形だけの死んだものにならないように、私たちの礼拝をきよいものとして保ちましょう。心から主を賛美し褒めたたえましょう。


2022年10月16日礼拝メッセージです。

「神の御声」  Ⅰサムエル31-10節、Ⅰヨハネ17

これはイスラエルが堕落していた時のことで、士師が次々と変わっていき、モーセとヨシュアの栄光の日々からかけ離れていました。エリは年をとり、邪悪な二人の息子は好き勝手をして、宮は人々から軽視されていました。幼いサムエルはそんな周りの状況を理解していなかったでしょうが、忠実に日々のお勤めを行っており、彼は純真無垢で従順で熱心でした。ある日、神様は暗い時期を破って幼いサムエルに語られました。その時、サムエルはすぐに反応しました。それは真夜中のことで、彼は疲れていたことでしょう。しかし、彼は呼ばれた時すぐにエリの所に行きました。エリが呼んだと思ったからです。神様は私たちが予期せぬ時、都合の悪い時に語られるかもわかりませんが、私たちはすぐに反応するでしょうか。また、サムエルは続けて反応しました。彼はすぐにエリの所に行きましたが、エリは呼んでいないと答えました。他に人はいないのに変だなと思ったでしょうが、言われた通りにベッドに戻りました。再び名前を呼ばれて、またエリの所に行きましたが呼んでいないと。そして、三度目に名前を呼ばれたとき「はい、ここにおります」と答えました。彼は完璧に従いました。おかしな出来事でしたが、サムエルは従順でした。どうしてエリはこんな夜中に自分を呼ぶんだろうと考えて時を無駄にすることもなく、すぐに従いました。エリが、おそらく神様が呼んでおられるのだ、と教えてくれた時…サムエルは部屋に戻って、エリが言った通りにしました。「主よ、お話しください。しもべは聞いております。」

神様はあなたにも違う形で話されるでしょう。もしあなたが神様の近くを歩んでいて、従っているなら、小声でささやかれるでしょう。もしあなたが迷子になりかけているなら、あなたの耳がよそを向いているから少し大きな声で語られるでしょう。もし完全に神様の御心から外れているならあなたの人生に大変な試練を許して目を覚まさせようとされるでしょう。

あなたが神様の御声を聞いた最後の時はいつでしたか? 御声を聞いたら従いましょう。すぐに、完璧に!


2022年10月9日礼拝メッセージです。

「最後のアダムはいのちを与える」     

創世記314.15 これは来るべき救い主を見る最初の御言葉です。人類が犯した最初の罪、しかし、ここにすでに希望と贖いを見ることができます。サタンはイエス様のかかとを打つ…試み、苦しめ、遂には十字架の死に追いやる、しかし、神の御子であるイエス様は十字架で死ぬことによってサタンの頭を打ったのです。サタンの頭は今も痛んでおり、イエス様の十字架はサタンの国に打撃を与え、サタンは自分の時が短いことを知っています。いつか悪霊と一緒に火の海に投げ込まれ二度と苦しめることができない事を知っているのです。1.最初のアダムから罪に傾く性質が始まった アダムとエバが罪を犯した時から、人類は自らの欲とサタンの誘惑によって罪に引っ張られるようになりました。カインはアベルを殺し、地は神の前で堕落し暴虐で満ち、ソドムの人たちは主に対して甚だしく罪深かった。イエス様の時代にも悪霊につかれた人がたくさんいて、人は自分の欲の奴隷となり罪に悩まされており、本当の愛は少なかった。(イザヤ53:6 士師記17:62、神が私たちを救うために人となられた マタイ1:21,22 全く罪も汚れもない者でなければ、全世界の人の罪の身代わりとして死ぬことはできませんが、そんな人は一人もいませんでした。ですから、神様は一人子のイエス様を送ってくださったのです。ルカ4:18,19 イエス様は今も変わらず私たちを癒し、助け、罪から救って自由を与えて下さいます。3、最期のアダムであるイエス様はいのちを与える Ⅰコリント15:21,22 アダムとエバの行いが全ての人を罪の束縛に至らせたとは信じがたいことかもしれません。しかし、神様は公正なお方ですから、イエス様によってすべての人に罪から救われるチャンスを与えて下さったのです。アダムの罪の結果は死、病気、暗闇…しかし、イエス様の死によって私たちにいのちが与えられ、病気の癒しと暗闇の中にも光が与えられました。世がどんなに悪くなっても、どんなに暗くなっても、あなたの魂は神様の光と素晴らしいご臨在に満たされることができます。Ⅰコリント15:45,26-58 固く立って主の業に励んでいるなら生きている今も勝利、また死後はすぐに生ける救い主のみもとに行くことができます。


2022年10月2日礼拝メッセージです。

                「最初の誘惑と結果」 

     創世記3124節、ヤコブ47節、Ⅰコリント92527節、

              マタイ142932

 

アダムとエバが犯した罪の結果は広範囲に及びました。そして、今現在にまで至っています。 子どものような心を失った。 神様の御顔を避けた。 自分の罪をほかの人のせいにした。 苦しんで子どもを産むことになった。 夫が妻を支配することになった。 苦労して作物を植えて育てなければならなくなった。 アダムとエバのために始めて動物が殺された。 いのちの木の実を食べることができなくなった、つまり死ぬものとなった。 エデンの園から追放された。 彼らの子孫もまた罪をもって生まれ、罪と呪いのもとに置かれた。 4千年後に神の御子が裏切られ、あざけられ、鞭打たれて十字架にかかって死なれた・・・・・一つの罪がこんなに多くの結果をもたらしました。この3章に挙げられていない結果をもあります。病気、戦争、離婚、飢餓、死。

 誘惑についても考えてみましょう。どんなに霊的なクリスチャンでも誘惑にあいます。サタンはエバが神さまを疑うように仕向けました。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか?「あなたは決して死にません。」そして、その次には嘘を吹き込みました。「あなたは神様みたいになる」神様はあなたに良いことを教えないでいる、ひどいよね・・・そう思わせた。今ではサタンは、罪を犯してもそんなにひどい結果にならないよ、神様は何が最善か知らないのだ、などと語りかけて誘惑してきます。エバはサタンの巧みな誘いにのってしまいました。本当はサタンの話を聞き続けるのではなく逃げた方がよかったのに。誘惑に負けて罪を犯してしまうと必ずその結果(余波、波紋)が生じることを覚えておきましょう。小さな一つの罪は次の罪を産み、後悔することになります。

 私たちは天国へのマラソンを走っているところです。最後まで走りぬきたいと思えば暑すぎるとか応援が少ないと言ってはいられません。邪魔する一切を許さず、ただゴールを目指して走ります。しかし、自分の力だけではできません。イエス様の助けが必要です。「イエス様助けて!」と叫びましょう。イエス様はすぐに手を差し伸べて助けてくださいます。


2022年9月25日礼拝メッセージです。

 「私たちにも祈りを教えてください」     ルカ111-4

聖歌230「たのしきいのりよ」を賛美しましたが、「楽しき祈りよ 浮きこの世離れ 御座に近づき 神と語らしむ」とありました。皆さんの祈りはこのような祈りとなっていますか? このような祈りの更に深い領域を味わうことができますように。一般的に根付いている偶像礼拝的信仰のスタイルがクリスチャンになってもそのままであれば、キトストと共に歩み語らう楽しさ、感謝や賛美は湧いてきません。天国は死んでから行くところではなく、生きている今入って行くところ、この地上で私たちの内に与えられた御国の心地がそのまま天国に繋がって行くものと考えます。ですから、生きている今イエス様と出会い、繋がり、共に歩み、その語らいを楽しむ…そのことの実際が「祈り」なのです。今日の御言葉の箇所で弟子たちがイエス様に「祈りを教えてください」と言い、それにイエス様が答えて「祈る時には、こう祈りなさい」と教えておられます。祈りと言うものをあえて三つに分けて説明してみます。①公の祈り これは教会などで大勢の人を代表して祈る祈りです。この時には、その集まりの祝福、神様の恵みが皆さんに注がれるようになど、その時と場に合った祈りをします。②神様と自分との交わりの祈り これは個人的な神様との語らいの時、本音を神様に打ち明け、願い事を知ってもらい、エデンの園で人と神様が語り合っていた時のようなデートの時にも似た祈りです。③執り成しの祈り 兄弟姉妹のため、牧師のため、家族や近隣の方々の今日の助けと祝福を求める祈りです。この②と③の祈りをすると、今年教会に与えられている年間聖句の実践ともなります。今日の箇所でイエスさまが教えられた祈りは神様と自分との交わりの祈りに当てはまるでしょう。これを祈りの文言としてではなく祈りのアウトラインとして覚えてください。

父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。私たちを試みにあわせないでください。あなたの祈りが楽しき祈りの時となりますように。


2022年9月18日礼拝メッセージです。

 「罪とは何ですか?」

 創世記215-17 創世記3:6-8,Ⅰヨハネ3:15, 出エジプト20:17, マタイ5:28,ガラテヤ5:19-21,ヤコブ2:19, マタイ7:21, Ⅰヨハネ1:9, ローマ8:13,14

人々は、人を傷つける、自然を破壊する、大半の人が同意する、これらを基準で何が正しく何が正しくないかを判断します。ですから、国や地域、時代によって変わってきます。しかし、聖書に書かれている罪は、国や文化に関わらず全ての人に当てはまるものです。最初の罪を見てみましょう。神様はとてもシンプルなルールを与えました。この園にある木から自由に食べて良い、ただ一つの木の実を除いて‥。神様のルールは合理的で従いやすいものでした。しかし、サタンはその取ってはいけない一本の木に人の注意を向けさせたのです。エバはじきにその木のことばかり考えるようになり、神様を疑うようになり、ついに神様が禁じた木の実を取って食べました。罪とは、神様の律法を知っていながらそれに反する意志の行為です。では、人はどうやって神様の律法を知ることができるでしょうか? あるものは、私たちの良心に記されています。他のものは神様の御言葉に書かれていますし、また、聖霊様によってクリスチャンに与えられます。人は盗みや殺人など表に現れる行為を罪としますが、神様はもっと深いところに隠れている心や思いの内にある憎しみやむさぼり、情欲を抱いて女を見る、ねたみ、そねみ、憤り、恨み、その段階からすでに罪とされます。このような思いを持ちながら、祈ることができますか?イエス様の御顔を見上げることができますか?それらは、あなたの体や精神に悪い影響を与えますし、あなたの喜びを奪います。私はイエス様を信じている、信仰がある!と言いながら内にねたみや憤りを抱えている…騙されないように気を付けて…ヤコブ219節には悪霊でも神は唯一だと信じて身震いしているとあります。マタイ721節には、主よ、主よ、という者がみな天国に入るのではない、とあります。もしあなたが罪を犯し続けているクリスチャンであるなら、主に赦しを求め罪に戻らないよう助けを求めましょう。聖霊様に心と思いをきよめていただき百パーセントあなたの人生を支配していただきましょう。


2022年9月11日礼拝メッセージです。

 

「神様との交わり」    

創世記38節,世記5:22, へブル11:5, 創世記6:9, へブル11:6,7,  


アダムとエバが一日の終わりに神様と散歩している姿を想像してみましょう。一日の働きを終えてのんびりと神様と語り合いながら歩いている。毎日のその時間を人も神様も心待ちにしていたのです。しかし、アダムとエバの罪が、神様との散歩の時をダメにしてしまいました。罪が、彼らの世界を全く変えてしまったのです。満たされ、安心で、慰めに満ちていたのに…驚くばかりの恵みは、イエス様のお陰様で、私たちは神の家族として養子縁組され、再びアダムとエバが罪を犯す前に持っていたと同じ神様との交わりを持つことができるのです。

 

本当の祈りは、神様とお散歩するみたいです…一緒にいるだけで例え何もしゃべらなくても幸いですし、大事な話をすることもできます。あなたは朝早く、あるいは夜遅くに神様とお散歩する幸いを味わっていますか?あなたの一日の出来事を告げ、神様を愛して御声を聞き、神様を賛美する。立派な言葉を使わなくても友達やお父さんに話すように、大声でも心の中ででも、跪いて祈ってもいいし、運転しながら、あるいは歩きながらでもいい…神様と充実した時を持つことが出来ればいいのです。教会でみんなで祈るのも幸いですが、それが個人的な祈りの代わりにはなりません。教会での公の祈りだけしか知らないなら、神様があなたのために備えてくださっているうちの99%を味わえていません。

 

聖書中には、神様と共に歩んだ偉大な模範が何人かいます。エノクは神とともに歩み、ある日死を味わうことなく天に移されました。(創世記5:22、へブル11:5)神様はあなたとも親しく語りながらお散歩したいのです。また、ノアも邪悪な世界にあっても神様と共に歩みました。(創世記6:、へブル11:6,7)神様と共に歩むほどに信仰も強くなりました。

 

神様との個人的な交わりは十分ですか?ヨセフやダニエル、アブラハムのように誰も何も頼れなくても神様がおられるから大丈夫! でしょうか?

 

 


2022年9月4日礼拝メッセージです。

                   「神様の素晴らしい日」    

創世記21-3,イザヤ58:13-14, マタイ28:1, 使徒20:7,

Ⅰコリント16:2, ネヘミ8:9-12

 

安息日に神様はすべてのわざを休み、ご自分が創造したものをご覧になり「非常に良い」と言われました。神様は私たちもゆっくりと休んで創造主を見上げ「神様はなんと素晴らしいんだろう!」と言うことを望んでおられます。安息日は、人間が過ごす最初の日でしたし、その時からずっと特別な日なのです。きよい日 3節「この日を聖なるものとされた。」クリスチャンでない人にとっても日曜日は他の日と違う日です。一週間を7日と定めたのは神様です。この日は神様を礼拝し、日ごろの活動をやめて主に集中する日です。趣味や新聞を読むこと、学校、買い物などを避けたら集中しやすくなると思います。もしこの日を百パーセント神様に捧げるならたくさんの祝福と喜びを受けるでしょう。休みの日 2節「なさっていたすべてのわざをやめられた。」聖書はとてもはっきりと日曜日には仕事をしないことを教えています。イスラエルが荒野で過ごしていた40年間、安息日の前日には二倍のマナを集めました。安息日にはマナは降らなかったのです。私は、日曜日のために最善の備えをします。ガソリンを満タンにし、買い物を済ませ、服にアイロンをかけて、日曜日に備えます。イスラエルのバビロン捕囚は、この二つの罪のためでした…偶像礼拝と安息日の冒涜。神様は安息日を守ることをそれほど大切だと考えておられるのです。祝福の日 神様は最初からこの日を祝福しました。日曜日にマリアはイエス様のお墓に行きましたが、お墓は空っぽでした。日曜日はイエス様が死からよみがえられた日です。使徒20章7節を読むと、人々が日曜日に集まって聖餐式をしていたことが分かります。Ⅰコリント16:2 人々は日曜日に集まった時献金を集めていました。主の働きのために捧げることは祝福ですね。ネヘミヤ8:9-12 彼らは罪を犯したことを悔やんで悲しんでいましたが、ネヘミヤたちは「悲しんではならない、行ってごちそうを食べなさい。主を喜ぶことは、あなたがたの力です。」と言いました。この特別な日を守ることによって、私たちは祝福されます!


2022年8月28日礼拝メッセージです。

「人間は男と女として創造された」     創世記126-28

創世記2:20-23,マタイ19:4-6,申命記22:.5,Ⅱコリント6:17-18

1テモテ2:9-10,1テモテ2.8,1ペテロ3:7,1コリント11:14-15

神様が宇宙や天体や動物などを創造し、それらを良しと見られました。その後、男と女を創造し「それは非常に良かった。」のです。神様は私たちを神様の似姿に創られました。神様は、男を知的で社会的で強く働き者、夫そして父親として創りました。そして、女を知的で社会的で夫の助け手、妻そして母親として創りました。男と女は全く違いますが、神様がそのように創られたのです。私たちが、神様がお創りになったものを変えようとすると問題になります。サタンは神様の創られたもの特に人間を憎んでいますから、神様が非常に良いとされたものを壊してしまいたいのです。今サタンは神様の創られたものを堕落させ捻じ曲げようとありとあらゆることを仕掛けています。トランスジェンダーや同性愛、男と女が外見では見分けられないほど入り混じっていることなど。

このような時代に生きている私たちクリスチャンの反応はどうあれば良いでしょうか? 愛と真実! 多くの若者はあらゆる嘘を教え込まれているのでほとんど彼らのせいではないとも言えます。ですから、私たちは彼らを愛して、神様が彼らを赦し生きる目的を与えたいと願っておられることを伝えましょう。服装に気をつけましょう。悪魔はすでに女性に男の服装をさせることに成功していますから、今度は男性に女の服装をさせようとしており、すでにアメリカやヨーロッパではスカートをはいてお化粧をしている男性を結構見かけるようになっています。神様が創造されたそのままを受け入れて満足しましょう髪の長さも男性と女性の区別の助けとなります最後に、あなたがまだ幼い子供を育てているなら、神様が子供に与えた性別を子供自身も肯定できるように助けましょう。聖書の教えに立つ家庭、愛と指導に富む家庭をつくりましょう。

神様が創造してくださったそのままで満足し、この世の混乱に巻き込まれないように注意しましょう!


2022年8月21日礼拝メッセージです。

これから7回に渡って

「教会の土台的な真実」について学んでいきます。

 

21日(日)には、「神様が天地を創造」から「天地の創造」という

          タイトルで 創世記1章1-31節からメッセージがありました。


2022年8月14日礼拝メッセージです。

「神様の御手」     申命記3327節創世記2:7, 申命記26:8,

Ⅰサムエル12:15, マルコ10:15,16

私たちの手は重要であり一日中働いている。大きな手もあれば小さな手もあり、その手でできることも様々だ。この手をつくったのはだれ?創造主なる神様だ! 神様の力強い御手について考えてみよう 「神である【主】は、その大地のちりで人を形造り…創世記2:7」私たちはちりで造られたのに神様は私たちを愛しておられる。神様は選民であるイスラエルの民をエジプトから救い出された。(申命記26:8)エジプトは強い国だったが、神様は10の災いを送り、力強い御手でイスラエルの民を導いた。次にイエス様の愛の御手について考えてみよう イエス様は幼いころから旧約聖書を手にして学び、夕方にはその同じ手でヨセフの手伝いをしたであろう。30年間長男として弟や妹の面倒を見ながらストレスも悲しみも他の人と同じように味わったであろう。公生涯に入ってからは、目の見えない人の目を見えるようにし、ツァラアトを癒し、死んだ少女を生かした。手をあげて天の父なる神様を礼拝した。イエス様の手は、パンを裂き5千人を養った。イエス様の手と足はいつも人のために忙しく働き疲れていた。イスカリオテ・ユダと一緒にパンを浸し、祭司のしもべの耳を癒し、ゲッセマネで祈りを捧げ、ロープで縛られ打たれて荒削りの十字架で傷ついたイエス様の御手。そしてご自分から両手を広げてその両手に釘を打たれて死んでくださった。お墓に葬られよみに下られたが、サタンから死とハデスと墓のカギを取り上げた。それから、お墓の大きな岩を転がして、弟子たちに現れ、釘打たれた痕がある手を見せた。それは、イエス様の愛と私たちを自由にするための犠牲を意味している。神様は「愛している」と言われただけでなくその愛を表してくださったのだ。イエス様が幼い子供を抱き上げたように、あなたをも抱き上げてあげたいと思っておられる。(マタイ10:16)幼い子が疲れた時に「抱っこ」とせがみ、親に抱かれて安心して休むように、私たちも幼子のようになって神様の腕の中で安心して休むことができる。神様の御腕(御手)は信頼できる。永遠で全能の神様の御腕に頼りましょう!神様は失敗しない、失敗できないのです。

 


2022年8月7日礼拝メッセージです。

「道徳的な人の間違え」

ルカ18章10-14節、エペソ2:8-9、Ⅰヨハネ1:9、Ⅱコリント5:17

 人はどうすれば平安や喜びを得ることができるでしょうか?神様との間が全て大丈夫で死を恐れずにすむでしょうか? 人は皆平安や自由や喜びを求めているのにそれらを奪う敵がいます。罪は一番大きな敵です およそ六千年前にアダムとエバが神様に対して罪を犯した時から、すべての人は神様に対して罪を犯してきました。人は嘘をつき欺きます。プライド…自分は他の人よりすぐれている、見た目もいい、能力的にも高い、宗教心に熱いと高ぶる心。。赦さない心…誰でも人から傷つけられたことがあるでしょうが、絶対に赦さない心は罪です。人に対して悪い気持ちを持って無視したり親切にしなかったり。これらは罪であり、罪があると生きるのも辛いですが、それだけでなく神様との関係が損なわれます。今日の御言葉を読むと罪を逃れようとする二つの道があることが分かります。一つは良い行いによって…このパリサイ人は完璧でした。彼は、宗教的な人で神様の律法を学んで実行していました。しかし、良い行いによって救われることはできませんでした。昔カトリックの修道士たちは道徳的に正しい生き方をして苦行に励みましたが、マルチン・ルターはこれらによっては救われなかったと証しています。仏教では全ての人に対して礼儀正しく、できる限り人々と平和を保ち家族を尊敬し、しかしそれでもなお罪の重荷はなくなりません。聖書が教えるルールを守ったとしても、聖書宣教教会のメンバーになったとしても、それで救われるわけではありません。正しい道(方法)は神様の道(方法)です 神様は罪を取り除くことができます。正しく生きる力を下さいます。私たちを救う力があるのです。私たちの唯一の希望は、この取税人のように神様のみもとに行くことです。彼は宮に行き、神様の御前に罪を悔い改めて赦され救われました。犯罪人も道徳家もキリストを必要としています。取税人はへりくだって、罪を自覚して隠そうとせず神様に期待して、解決を得ました。彼はその日に救われたのです。良い行いを積み重ねても罪赦されて天国に行くことは出来ませんが、へりくだって悔い改めの心で神様のみもとに行くなら、神様は決して見放さず罪を赦して天国に導き入れてくださいます。


2022年7月31日礼拝メッセージです。

「あなたに欠けていることが一つあります」

                       マルコ10章17-21、使徒1:4-9

                        ヤコブ4:8, ルカ11: 9-13, マタイ5:6

 

このお金持ちの若い役人は良い人でイエス様に愛されていましたが、救いと永遠のいのちを得るために欠けていることが一つありました。神様よりもお金を愛していたのでイエス様のお言葉に従うことができず、顔を曇らせ悲しみながら立ち去りました。なんともったいない、悲しいことでしょう。一つの罪のために救いを得られなかったのです。さて、弟子たちに欠けていたものが一つありました。キリストは死からよみがえりました。彼らの罪は赦されて、三年間イエス様と寝食を共にし多くの奇跡を見、イエス様が神の御子であると信じていましたが、イエス様は最後に「あなたがたに欠けているもの、聖霊を待ち望みなさい」と言われました。大きな必要 弟子たちはきよめられる必要がありました。ヤコブとヨハネはわがままでイエス様の右と左の席に座らせてくださいと願いました。ペテロは傲慢でたとえ皆がつまずいても私は大丈夫、と言いました。トマスはイエス様の手に釘の後を見ないと信じないと言いました。弟子たちはみんなユダヤ人を恐れて戸を閉めて鍵をかけていました。これらはみな二心のしるしです。あなたの必要は満たされることができます 解決があります…聖霊のバプテスマ アリの首は強くて自分の体重の10から50倍のものを運ぶことができるそうです。神様、聖霊様は私たちに「いいえ」と首を横に振る力を与えることができます。聖霊様が心に宿ると誘惑や罪に対して「いいえ」ということができるのです。ペンテコステの後弟子たちも変えられました。恐れることなく、少なくとも15の国や地域から来ていた人々にイエス様のことを伝え、その日5千人が救われたのです。病気も迫害もクリスチャンたちの殉教さえも彼らがイエス様のことを伝えるのを止めることは出来ませんでした。その後の50年で世界の歴史が変わりました。では、どうすれば聖霊を受けることができるでしょう? 弟子たちはイエス様のお言葉に従って、エルサレムにとどまって聖霊を受けるまで祈りました。聖霊を受けるまで祈り求めましょう。マタイ5:6「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」


2022年7月24日礼拝メッセージです。

「イエス様にとどまりましょう」

ヨハネ15章1-11節Ⅰヨハネ4:15, 12, 2:10, 4:13, 3:24, 2:24

今日読んだ11節の中に「とどまる」という単語が11回出てきます。「イエス様はぶどうの木で私たちは枝です」というたとえでクリスチャンがイエス様のみそば近くにいないと勝利を保つことができない事を表現しています。イエス様をガソリンスタンドのように空になると注ぎに来ればいいと考えている方もいるようですが、そうではなく、空気のようにイエス様から離れては勝利を保つことはできないのです。 「イエス様にとどまる」報い、祝福は、「すでにきよい(3節)」「多くの実を結ぶ(5節)」「欲しいものが叶えられる(7節)」「喜びで満ち溢れる(11節)です。枝が木につながっているようにイエス様につながっていたらいいんだ…しかし、どのようにしてそれを実践することができるでしょう?ギリシャ語の「MENO」--「とどまる」と訳されている単語は新約聖書中に120回使われています。そのうちのいくつかを見て、実際にどうすればイエス様にとどまることができるのか学んでみましょう。ヨハネ15:10「…あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。」Ⅰヨハネ4:15「だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています。」キリストにとどまる第一歩は、キリストを告白することです。イエス様を信じていることを証ししましょう。Ⅰヨハネ4:12「いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(Ⅰヨハネ2:10)Ⅰヨハネ4:13「神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。」(Ⅰヨハネ3:24)聖霊様は私たちをイエス様に近づけてくださいます。罪を避け、イエス様のおことばを守るように助けてくださいます。Ⅰヨハネ2:24「…もし初めから聞いていることがとどまっているなら、あなたがたも御子と御父のうちにとどまります。」イエス様が再び来られるその日までイエス様にとどまり続けていましょう。


2022年7月17日礼拝メッセージです。

「私たちの髪の姿、神様の栄光の現れ」

 

マタイ10章29-31節 Ⅰコリント10章31-33節  11章1-15節

 

神様は私たちの細部に至るまで(髪の毛の数さえ)知っていてくださいます(マタイ10:29-31)。私たちはクリスチャンとして何をするにも神様の栄光をあらわすために行い、恵みによって人々が救われるためにできる限りのことを行いましょう(Ⅰコリント10:31-33)。

 

Ⅰコリント11:1-15 パウロは神様から学んだことをコリントの人々に伝えようとしていました。彼らは、偶像礼拝から救われてまことの神様を礼拝する者となり、世的なギリシャ文化に従って生きる者から天国の文化に従って生きる者とされました。

 

3節では「男のかしらはキリスト、女のかしらは男、キリストのかしらは神」という神様の関係構造について説明しています。4節「男は…頭をおおっていたら」という言葉をギリシャ語で見てみると「頭から垂れ下がっているもの」という意味であり、男性が頭から垂れ下がるほどの長い髪で祈ったり預言をしたりすると男の頭であるキリストを辱めることになるというのです。そして、女性には祈りや預言をする時に「かぶり物」をつけているようにと言われており、それは長い髪を意味しています。祈る時に急に髪を伸ばすことは出来ませんから、長い髪でいるといつでも恥じることなく祈ることができるのです。男が最初につくられ、それから女がつくられました。女の権威は男にあり、男の権威は神にあるのです。エバはアダムのあばら骨からつくられましたが、同様に、男も女から生まれますからふさわしい尊敬をもって互いに接するべきです。13節の「かぶる」ギリシャ語でKATAKALUPTO、それは完全に覆うことを意味しています。長い髪です。ではどこまで伸ばせば長い髪と言えるでしょうか? 長い間ハサミを入れていなくても髪があまり伸びない人もいますし、膝くらいまで伸びる人もいます。髪の長さは、ハサミで決めるのではなく神様にお任せするのが良いでしょう。長い髪は女の栄誉です。

2022年7月10日礼拝メッセージです。

ロマ

5:8 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。

 

5:9 ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。

 

5:10 敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。

 

5:11 それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。

 

ルカ

7:48 そして彼女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。

7:50 イエスは彼女に言われた。「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」

 

Ⅰペテ

1:3 私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。

2022年7月03日礼拝メッセージです。

      「愛の動機」

        出エジプト記21章2-26節

 今日の御言葉の箇所は、きよめ、また愛の奉仕について理解する助けとなります。旧約時代、借金を負って返せなくなり困っている人が、6年間他の人の奴隷となって借金を肩代わりしてもらう制度がありました。主人が優しくて長く仕えているうちに関係が強まり、6年経ってもそのまま主人の奴隷でいたいと思う人は、門柱の所に行ききりで耳を刺し通す、それは一生愛の奴隷として仕えるしるしでした。同じように、私たちも罪の借金を背負いそのままでは先に罰を受けることになる、自分ではとうてい支払えない。そこで神様はその罪の負債を肩代わりしてくださいました。私たちは自分を神様に捧げて、委ねて、神様のしもべとなり救われました。救われてからクリスチャンとして歩んでいくときよめの必要性に気づきます。その時私たちも選択することになります。きよめを求めるのか、もとめないのか。もっとイエス様に近づきたい?それとも自分の力で信仰生活を続けようとする?どちらを選びますか? 新約時代の使徒たちはしもべ(奴隷)の態度をもっていました。ローマ書やヤコブ書、またペテロの手紙の最初に、「キリストのしもべ」と自己紹介しています。しもべの心で愛をもって仕えていたのです。私たちはどうでしょうか?日本では多くの義務や責任があるように思います。両親の世話、仏壇を守ること、自治会の責任などみんなでする決め事が多い。愛がなくてもしなければならないからする、そうであれば重荷になります。救われてからのクリスチャン生活も、同じように「しなければならない」となると重荷になります。動機は義務?責任感?それとも愛? 愛が必要です。動機が愛でないなら全ての良い行いも無駄になります。クリスチャンの真ん中、一番大きなものは愛です。それも、人間の気分次第の愛ではなく、神の愛、アガベの愛が必要です。愛がキリスト教の初めであり、続きであり、終わりです。クリスチャンとなり、神様の愛のしもべとなり、愛と平安と喜びをいただきましょう。これが本当のクリスチャンの歩みです。心を調べて、愛がすべての動機となるよう助けてくださいと祈り求めましょう。


2022年6月26日礼拝メッセージです。

  「結婚、家族の土台」

    創世記2章18-24節、詩篇68.6、マルコ10.8-9、

    第二コリント6.14、ヘブル13.4、ヨブ31.1.4.9.11-12、

    エペソ5.25、テトス2.4

 

結婚は、家族の土台です。今年のみことば「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」この隣人とは、まず夫婦であると理解しています。

アダムは完璧な人間として創られましたが、神様はバランス的なことも考えられて女(エバ)も創られました。この結婚は神様の計画でした。

結婚は死ぬまで続く契約ですからよく考え、祈ってから始めるべきです。(マルコ10:8,9)結婚の契約をする前に一生懸命求めて祈り、考える必要があります。何も考えず感情だけで結婚すると後々困ることになります。結婚は天国の味わいともなり、地獄の味わいともなるからです。結婚はきよいことで、大切にその関係を守らなければなりません。(へブル13:4)姦淫の罪を犯すと結婚の契約は破れます。サタンは結婚関係を壊そうと働いていますから、家庭に何を持ち込むか、何を見るか注意が必要です。インターネットを使う時にも気を付ける必要がありますし、ソーシャルメディア(フェイスブックやツイッター等)も誘惑と危険がいっぱいです。結婚生活(関係)は完璧にすること。庭の雑草を2,3本だからいいよと見逃すと、あっという間に庭は雑草に占領されてしまいます。完璧な目標を持つ。一本の雑草も見逃さないという覚悟が必要です。夫は、神様が教会を愛したように妻を愛し、妻も夫を愛する。(エペソ5:25、テトス2:4)神様の愛で、自分を捨てて、わがままな愛ではなく、赦す愛で。力を尽くし、時間をかけて、怠けていてはいけません。結婚関係を完璧なものにするために一生懸命頑張りましょう。結婚があり、夫婦があり、家族がある。この土台はしっかりと覚悟をもって踏みしめたいものです。

 

女性の髪形に三つ編みというのがあります。見た目は二つの束ですが実は三つの束です。三つ目がないとほどけてしまいます。夫婦も二人ですが、もう一人神様がまとめ役として必要です。神様を第一にして結婚生活をすると簡単にはほどけません。


2022年6月19日礼拝メッセージです。

「クリスチャンホーム」 創世記35章1-4節

 

クリスチャンホームはとても大切です。クリスチャンホームが強く立っていたら教会も国も強くなります。ヤコブには13人の子供がいて大家族でした。ヤコブは日々忙しく弱さのある父親でしたが、今日の箇所を読むと彼の家庭にリバイバルが起きたことがわかります。「家庭にリバイバル」家庭の秩序は、神様が一番、父親がその次、そして、母親、子供の順で保たれます。それが神様の御心であることが聖書からわかります。家庭の柱であるお父さんがしっかりとした信仰をもって強いリーダーになると家庭が祝福されます。お父さんは家庭の霊的責任者です。神様はヤコブにベテルに戻るように言われました。「ベテル」はヤコブが以前兄エサウを恐れていた時に天使が上り下りしているのを見たところであり、ベテルの意味は、神の家です。そこに戻りなさい、「最初の信仰に立ち返りなさい」と言うことです。また、神の家「ベテル」は教会とも言えます。アメリカではたくさんの集会がありますが日本では少ない…礼拝、夕拝、祈祷会、祈り会。家族で教会に来て霊的な影響を受けることはとても大事です。世的な影響をたくさん受けていますからできるだけ教会の集会に集って霊的な影響を受けなければバランスがとれません。しかし、教会の集会だけではまだ足りません。神様は、ベテルに祭壇を築くように言われました。家族と礼拝しなさい、と言うことです。家庭礼拝(家拝)が必要です。子供たちと一緒に毎日神様を賛美し、暗唱聖句をし、聖書を読む、祈る…。家族が救われてクリスチャンとして歩む責任はお父さんにあることを覚えましょう。2節では偶像を捨てるように言われました。神様より大事なもの、それが偶像です。お金?仕事?子供…?神様より大事になっていませんか。また、神様は「身をきよめなさい」とも言われました。家の中に何を持ち込むか、家庭のルールを決めて家庭をきよく守ることもお父さんの役目です。お父さんの責任は多いですね。その中で一番大切なことは家族の信仰を守ることです。神様の力によってできます!


2022年6月12日礼拝メッセージです。

      「クリスチャンの祝福」

   詩篇34篇8節 ローマ5:8 マタイ9:2  ヨハネ14:16 

   へブル9:14 13:5  黙示録21:3-5 

 

私たちは祝福されているクリスチャンです。「数えてみよ 主の恵み」クリスチャンの祝福について考えてみましょう。神様はあなたを昨日も今日も明日も変わらず愛しておられます(ローマ5:8)罪人であった時でもご自身を与えて下さるほどに愛してくださり、今も愛していてくださいます。神様は、私たちの罪を赦してくださいます(マタイ9:2)だれでも、どんな罪を犯した者でも、傲慢な者でも、神様の御元に来ると赦されます。そして、神様はその罪を二度と思い出さないと約束してくださっています。聖霊様を送ってくださいました(ヨハネ14:16)自分の力でやろうとしても絶対にできませんが、聖霊様の助けがあればできます。聖霊様は、いつでも、どこでも、だれにでも続けて助けることがおできになります。聖霊は、助け主、慰め主、とりなしの祈りをする方、横にいて一緒に歩いてくださる方です。スッキリした良心をもつことができる クリスチャンも以前に罪を犯したことがありますから良心は汚れていました。しかし、その汚れた良心を神様の所にもっていったとき、罪赦され良心も新しくされました。安心してぐっすり眠ることができるようにされたのです。ですから、その新しい良心を守るために良心を訓練し、何か間違ったことをした時には「ごめんなさい」とあやまることはとても大切です。イエス様は私たちと一緒にいると約束してくださいました(へブル13:5)「決して捨てない」と続けて手を握っていてくださいます。天国の希望があります Ⅰコリント13章に、私たちは今ぼんやりとしか見えていないけれど、ある日はっきりと見えるようになると書いてあります。天国は今思い描いているよりはるかに素晴らしいところであり、いつかそこに入ることができるのです(黙示録21:3-5)その他にも、クリスチャンの祝福はたくさんあります。問題ばかりを見るのではなく祝福について考えて主を褒めたたえましょう。


2022年6月5日礼拝メッセージです。

       「イザヤの聖め」  イザヤ6章1-8節

イザヤ6:16,18, マタイ1:21 ローマ6:6 エゼキエル36:25-27 

 

創世記から黙示録までの間全てで聖霊様の働きを見ることができます。使徒行伝2章には、イエス様のお言葉に従って祈っていた弟子たちの上に聖霊が降った素晴らしい出来事が書かれています。そして、今日の箇所からも聖霊の働きが分かります。

 

ウジヤ王が死んだ年にイザヤは幻を見ました。イザヤは預言者であり、つまり神様を信じるクリスチャン、救われていた、説教もしていた。しかし、自分の力で頑張っているけど足りないと感じていました。そんな時、幻を見、神様の栄光を見たのです。①神のきよさ 幻の中で、セラフィムが「聖なる、聖なる、聖なる…」と言いました。一度も罪を犯したことがない、嘘をついたこともない、完全なきよさをお持ちである神様。自分の頑張りなど比でもない。②イザヤの問題 神様のきよさを見ると、自分などダメだ、汚れている、足りない…と恥ずかしくなりました。ローマ7章を読むと、パウロも同じように、自分は良いことをしようとしてもできない、心のうちに戦いがあり惨めだと告白しています。その解決は8章にありますので読んでみてください。救われる時罪を告白して悔い改め、赦されます。きよめられるためには、罪の行いを告白するだけではなく、自分自身の心の中の汚れを見、自分の力ではどうにもできないと告白する。そうすると、聖霊様が近づいてきてくださいます。③イザヤのきよめ 天使が燃える炭火をとってイザヤの口に触れました。マタイ3:11 罪の根を聖霊様が火で燃やしてきよめてくださいます。自分の力がゼロになり、天のお父様の力、イエス様の血潮、聖霊様によってきよめられるのです。罪の根は赦されることはできず、イエス様と一緒に十字架につけて殺さなければ(燃えつくされなければ)なくなりません。殺さなければ問題は続き、内なる戦いは終わりません。今日はペンテコステ、救いの日、きよめの日です。時間をかけて祈りながら心の内を探り、祈り求めましょう。


2022年5月29日礼拝メッセージです。

「なぜ人は救われる必要がありますか?」  

 ローマ5章12節マタイ25:31-34,25:41, ルカ18:10-14,

   ロ−マ5:8, ヘブル11:31, Ⅱコリント6:2

クリスチャンが罪を犯すとどうなるのでしょうか。ペテロはクリスチャンでした。3年間イエス様と共にいていつもイエス様の側で多くの奇跡を見聞きし、一生懸命従っている人でした。しかし、彼でも罪に落ちました。イエス様が捕らえられた時怖くなって「イエス様など知らない」と3度も否定してしまったのです。イエス様から離れると救いからも離れてしまいます。罪赦された者はまた再び罪を犯さないように気を付けなければなりません(ヨハネ5:14,8:12)。しかし、もし罪を犯してしまったらどうなるのでしょうか。それで終わりでしょうか。もう希望はないのでしょうか。そんなことはありません。神様はあわれみ深いお方です。罪を犯してしまったら恥ずかしいからと隠すのではなく(Ⅰヨハネ2:1)、神様に告白して赦しを求め、悔い改めましょう。そうすればイエス様の十字架の血潮によって赦されます。

 

ダビデ王様は素晴らしい信仰を持っていました。若い時から神様を愛して従い、王様になりました。しかし、民たちが戦っている最中、自分は戦いに行かずに家の屋上でリラックスしていた時、人の妻が入浴しているのを見て姦淫の罪を犯しました。その上その罪を隠すために彼女の夫を激戦地に送り込んで殺し、彼女を自分の妻としたのです。9か月後、預言者ナタンがダビデの所に遣わされました。ナタンはダビデ王様の罪をはっきりと指摘しました。その時、ダビデは「私は罪人です」と告白して悔い改めました。その告白が詩篇51篇に記されています。罪を隠していると苦しいですね。神様との交わりがない、喜びもない、教会で証しできない、祈りも楽しくない…。しかし、罪を告白して悔い改めると罪赦されて神様との関係が回復します。その後きよめられると、罪を犯す可能性がなくなるわけではありませんが、聖霊様が心に留まってくださるので罪を犯す可能性は低くなります。今朝どうでしょうか?罪を隠しているなら是非神様に告白しましょう。神様は豊かに赦してくださいます。


2022年5月22日礼拝メッセージです。

      「なぜ人は救われる必要がありますか?」  

                  ローマ5章12節 マタイ25:31-34,25:41,

      ルカ18:10-14, ロ−マ5:8, ヘブル11:31, Ⅱコリント6:2

 

今日は「なぜ人は救われる必要があるのか」について考えてみましょう。すべての人は罪を犯したからです(ローマ5:12)アダムとエバから始まって罪は全人類に広がりました。神様のことを理解できない小さな子供や知的障害のある方は、神様の憐れみによって救いがあります。必ず天国に行くことができます。しかし、その他の人には罪があります。行いによる罪だけでなく心の中にある隠れた罪、憎しみ、妬み、傲慢…。罪の赦しはイエス様の血潮以外にありません。罪の罰は、神様から離れて地獄に行くことだからです(マタイ25:31)人は死んで永遠の時が始まるときに天国か地獄かに分けられます。地獄は、もともとサタンと悪霊のためにつくられた所ですが、神様のいない所であり光がない良いものの何一つない所です。良い行いによって地獄から救われることはないからです(ルカ18:10-14)世の中に良い人はたくさんいます。親切な人、礼儀正しい人、…しかし、例えば、良いことが100あって罪は一つだけという人が天国に入るなら天国には何百万の罪が入ることになりこの世と何ら変わりない所になってしまいます。神様は、イエス様をこの世に送って下さり、イエス様が十字架にかかってくださることによって救いの橋を備えてくださったのです。神様の愛を感じることができるためにも救いが必要です(ローマ5:8)救われて罪が赦されるとイエス様の愛を感じて心に平安がきます。私たちが罪人で神様に反抗していた時にも神様は愛してくださっていました。そして、今もこれからも愛してくださっていますが、救われて罪が取り除かれてスッキリすると、神様の愛を感じて神様との交わりが楽しくなります。神様との関係がないと真の可能性をもてないからです(へブル11:31)遊女ラハブは信仰によって救われ家族も救われ、イエス様の系図に名を連ねることになりました。神様を信じて救われるか、続けて自分勝手な道を進んでいくのか、選択するのはあなたです。Ⅱコリント6:2 今はチャンスがありますが明日のことは分かりません。祈りましょう。


2022年5月15日礼拝メッセージです。

「最後まで神様の愛で続けましょう」   マタイ24章12-14節

 

12節「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。」

悪が増大しています。一年一年世は悪くなっています。気を付けていなければ神様への愛はどんどん冷めていきます。温かい教会にいると神様の愛を感じて大丈夫・・・でも月曜日からは?冷たい中にずっといると自然と愛は冷めていくのです。どんなに忙しくても祈る時間をとって、聖書を読んで神様との関係を保ち愛が冷めないように気をつけましょう。

13節「 しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」

救われたときにすべての罪が赦され感謝。しかし、そのまま生活していくと神様に従いたいのに従いたくないという気持ち、すなわち罪の根があることに気づきます。ローマ6章にあるように、その罪の根をイエス様の十字架につけて滅ぼしていただくときよめられて、聖霊様が心のうちに住んで下さり、神様の愛のしもべとなります。本当に素晴らしい!しかし、時間が経ってきて、忙しすぎて、聖書を読まない、祈らない生活が続くと、鳩のような聖霊様は「あー、忙しいんだ。時間がないんだ。寂しいなー。」と少しずつ少しずつ離れて行かれます。救われました。きよめられました。しかし、最期の救いは死ぬときに天国に行くことです。途中で信仰をなくしたら…最後の救いはないのです。自分の力が失われていることに気づかず戦いに出て行ったサムソンのように…悲しいことです。救われる前の状態に戻ってしまった、いや、前以上に悪くなる可能性もあるのです。愛が冷めないように必死になりましょう。私たちの愛が冷めないように、時に神様は試練や困難を許します。目覚めて必死に祈るためにです。ですから、困難に直面するとき文句を言うのではなく、神様の愛に感謝しましょう。

14節 時間がある今伝道しましょう。

救われている私たちが伝道しなければ誰がするのでしょう。あらゆる方法を用いて人々にイエス様のことを伝えましょう。トラクトを手渡すことも毎日やると簡単になってきます。心を尽くして伝えましょう。


2022年5月8日礼拝メッセージです。

「テモテのお母さん・・・真実の信仰」    Ⅱテモテ1:5

 

テモテの信仰は、母ユニケと祖母ロイスからつたえられてきました。私たちも子供や孫たちに信仰を継承していきたいですね。

 

「偽りのない信仰」・・・すばらしいですね。表裏がある信仰ではなく、浅くなく、日曜日だけの信仰でもない本当の信仰。それは、一歩ずつ神様に従っていって得られる信仰です。さて、お母さんの仕事はたくさんあって終わりがないほどです。家事や育児、時には子供たちの間を裁く裁判官、カウンセラー等々、クリスチャンの母親であればその上に子供たちと一緒に聖書を読んだり祈ったり、教会に連れて行ったりと責任は増えていきます。「あー、責任が多すぎる。疲れた。もうできない。」という時に助けになる御言葉・・・「しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」イザヤ40:31神様の御前に跪いて祈り求めると必要な力をいただくことができます。テモテの母親は、主の教育と訓戒によって子供を育てることが一番大切なことと考えていました。母親は、暗い罪の世の中にあって子供たちが安心できて一息つくことのできる存在です。アブラハム・リンカーン、ジョージ・ワシントン、ジョン・ウェスレーのお母さんたちは、子供に祈り、聖書を読むことを教え、聖書に基く訓練をし、子供たちを愛して育てました。母親の素晴らしい影響によって世の中を変えたのです。聖書に出てくるヨケベデやハンナは息子であるモーセやサムエルと数年しか共にいなかったにもかかわらず、神様への信仰をしっかりと伝えました。彼らは大きくなっても母の教えから離れませんでした。「ゆりかごを動かす手は、世界を支配する手です」母としての仕事は、神様の御前でとても大切な仕事なのです。自分の力ではできません。神様の力が必要です。Ⅲヨハネ1:4「私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。」家族の救いのため、クリスチャンホームが起こされるように一緒に祈っていきましょう。お母さんたちの祝福を祈ります。


2022年5月1日礼拝メッセージです。

     「サタンの嘘…神の真実」 

          エペソ6:12. ヨハネ8:44. ヨハネ8:31

 

サタンは創造主ではないので何かを創造することはできません。

ですから、サタンは神様が造ったものを壊す、嘘を混ぜ込む、ちょっと曲げて変えて悪くします。サタンは嘘つきの専門家です。逆に、神様は嘘をつくことができません。神様は真理です。私たちには二つの世界観、考え方、方法があります。サタンの嘘を信じて生きるか、神様の真実を信じて従って生きるか・・・。この二つの世界観のうちのどちらかで歩んでいます。クリスチャンはいつも悪魔の嘘と戦っています。ニュースや報道、学校での教え、職場環境、いたるところに悪魔の嘘が潜んでいます。本当のことにちょっと嘘が混ぜ込まれている・・・聖書と照らし合わせて見分けなければ、クリスチャンでも嘘を信じてしまう危険があります。悪魔の嘘の一つは、「人間は何もないところから少しずつ進化して今に至った」という進化論です。250年前くらいにこの考え方が出てきました。しかし、この考え方を信じるなら神様はいないことになります。聖書は、創造主がおられて全てを造られたと教えていますから、この両方を信じることは無理です。このサタンの嘘を信じてしまうと、私たちは動物よりちょっと高等な動物、何をしてもいいでしょうとなります。この世のことだけなら思い通りにいかなくて希望をなくしたら自殺するしかない、となります。そんな人が多くいます。それは違いますね。創造主が創り、いのちを与えて下さったから人間は特別です、良い仕事があってもなくても、思い通りの大学に行けても行けなくても、神様がおられるから大丈夫、神様が道を備えていてくださいますから。神様の真実は創世記1章27節にあります。二つ目のサタンの嘘は、「からだは自分のものだからなにをしてもいい」というものです。麻薬、アルコール、入れ墨、不品行、気持ちよければ何をやってもいいんじゃない・・・。神様の真実は、Ⅰコリント6章19節にあります。三番目の嘘は、「あなたの人生は、美人じゃないと、お金持ちじゃないと、賜物がたくさんないと無駄、価値がない」というものですが、神様の真実は、Ⅰペテロ3章4節にあります。サタンの嘘を信じないで!!  ゼパニヤ3章17節も読んでみてください。