2025年6月1日~約1年間を通し、キリスト教入門・神学コースで学んでいきたいと思います。只毎回集いたいのに集えない学びたいけど1年間を通すとなれば~???と思う方朗報です!この度HPから見て学ぶ、ことが可能になりました。数年後あ!こんな話してたよねって振り返えり誰かの力になることもあると思います。
第14回 自由意志とカルヴァン主義とアルミニウス主義の比較
第15回の 自由意志とカルヴァン主義とアルミニウス主義の比較の復習を下記に記しています。
(メッセージは日本語・英語に分けて載せています。)
(BMCマニュアルの信仰条項より)
私たちは、人間が善と悪を選ぶ能力をもって創造され、そのために道徳的責任を負う者とされたと信じる。堕落以降の人間の状態は、自分自身の力や行いによって信仰と神への呼び求めに備えることができないほどである。しかし、イエス・キリスト通しての神の恵みはすべての人に豊かに与えられており、それによって罪から義に立ち返り、罪の赦しときよめのためにキリストを信じ、神に喜ばれる良い行いを行うことが可能とされるのである。「いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい。」(黙示録22:17、ヨハネ4:14)さらに私たちは、人は救いや全ききよめを経験しても、恵みから堕落し背教するはことが可能であり、もし悔い改めないなら、希望なく永遠に滅びると信じる。(エゼキエル18:20,24;使徒1:25;ルカ8:13;ヘブル6:4-6)
• キー・クエスチョン:神の救いの計画において、人間の自由意志はどのような役割を果たすのか?
「自由意志」の定義
• 基本的定義:人間が神から与えられた、本物の選択をする能力。特に、神の恵みに対する応答に関して。ロボットのようにあらかじめプログラムされた存在でもなく、ただ本能だけで生きる動物でもなく、人間には良心と心と意志があり、善悪を選ぶことができる。
• ウェスレアン・アルミニウス主義の見解:自由意志は「先行する恩寵」(救いの備えとして、救いの以前に働く恵)によって可能となる。恵みなしには、人間は罪に縛られているが、この恵みによって神への応答が可能になる。
カルヴァン主義(改革派神学)
起源:アウグスティヌス(354–430)、普及:ジャン・カルヴァン(1509–1564)
中心強調点:神は絶対的に主権者であり、人間は自分の救いに関してほとんど、あるいは全く関与できない。
カルヴァン主義の五要点(TULIP)
• Total Depravity 全的堕落 – 人間は神に立ち返ることが全くできない。神の介入なしには 救いに至れない。
• Unconditional Election 無条件的選び – 神は主権によって救われる
者を選ぶ。人には選択権が なく、救われる者と地獄に定められる者があらかじめ 決まっている。
• Limited Atonement 限定的贖罪 – キリストは「選ばれた者」のためだけに死なれた。
• Irresistible Grace 不可抗的恵 – 神に選ばれた者はその呼びかけを抵抗することができない。
救いを受けると定めている人は必ず救われる。
• Perseverance of saints 聖徒の堅忍 – 選ばれた者は最後まで信仰にとどまる。人の行動にかかわらず、 (永久保全) 救いを失うことはない。
カルヴァン主義では、クリスチャンは依然として「言葉、思い、行いにおいて日々罪を犯す者」であると教える。しかし神は、私たちの「不潔な衣のような義」ではなく、キリストが私たちに着させる「救いの衣」だけをご覧になる、と説く。そのため、行いがどうであっても、ひとたび「選び」に入れられ、かつ一度でもキリストを信じたなら、救いを失うことはない。残念ながらこの教理は時に”sinning religion”「罪を犯し続ける宗教」や恵みによる「罪を犯す許可」”license to sin”につながります。
(多くのバプテスト派、長老派、その他の福音派教会の大部分が程度の差はあれ信じられています。)
ウェスレアン ・ アルミニウス主義
普及:ジェームズ・アルミニウス(1560–1609)、ジョン・ウェスレー(1703–1791)
中心強調点:神の義と愛 ― 救いはすべての人に備えられています。
• 先行する恵(恩寵) – 人は罪過のゆえに霊的に死んでいるが、神の恵みが一人ひとりに働きかけ、救い主の必要に気づかせる。神は環境や状況を通して人を御もとに引き寄せようとされる。
「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」 第二ペテロ 3章 9節
「実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。」 テトス 2章 11節
• 信仰の条件と選び – 神は、信仰の応答をした者を選ばれる。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 ヨハネ3:16
• 普遍的な贖いー 十字架の贖いは万民(全ての人)のため。キリストはすべての人のために死なれた。
「キリストはすべての人のために死なれました」(Ⅱコリント5:15)
• 自由意志 – 人は神の恵みを受け入れることも拒むこともできる。神は人を
ロボットのように造ることもできたが、愛と尊敬に基づく真実の関係を求められる。
「あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える」(ヨシュア24:15)
• 背信の可能性 – 信者は故意に神とその命令を拒むなら堕落する。
「主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの
終わりの状態は初めの状態よりももっと悪くなります」(Ⅱペテロ2:20)
(ナザレン教会、救世軍、ウェスリアン教会、フリーメソジスト教会、ホーリネス派、自由意志バプテスト教会、そしてアセンブリー・オブ・ゴッドのような多くのペンテコステ派の宗派はアルミニウス主義を信じている。)
その他の比較
カルヴァン主義は、神が罪の刑罰を取り除くことを強調する。
ウェスレアン ・ アルミニウス主義は、神が罪そのものを赦し、心から罪の性質をもきよめることを強調する。
カルヴァン主義は、クリスチャンは依然として罪人であり、日々悔い改め続ける必要があると教える。
ウェスレアン ・ アルミニウス主義は、神は人を全ききよめへと導き、罪の根を取り去ることができる。聖霊に従えば、もはや罪のうちを歩む必要はないと教える。
ジョン・ウェスレーとメソジズム (BMC歴史の本)
神は地上で偉大な働きをしようとするときはいつでも、人を探します。旧約聖書の時代には、サムエル、エリヤ、ダビデがいました。 18世紀には、ジョン・ウェスレーという人物がおり、彼の影響は100年近く宗教に大きな影響を与えました。彼はキリスト教の素朴さ、規律、組織の心とスピリットになりました。
マルティン・ルターは腐敗したキリスト教を改革し、ウェスレーは瀕死のキリスト教を復活させました。ルターは、カトリック教皇の誤りと不正行為という論争に取り組みました。
ウェスレーは霊的経験について語りました。宗教改革者は神の言葉という剣を持った戦闘員であったが、メソジストたちは神と人間への完全な愛に燃える心を持った伝道者であり、その教区は世界でありました。彼らの胸には権威に対する反感はなく、むしろ人々への情熱があったのです。
ジョン・ウェスレーは、1703 年 6 月 17 日、牧師家庭の 15 番目の子供としてサミュエル・ウェスレーとスザンナ・ウェスレーの間に生まれました。彼は、メソジズムの著名な創始者になりました。チャールズ・ウェスレー、ジョージ・ホイットフィールド、ジョン・フレッチャー、トーマス・コークといった他の有能な人物が重要な地位を担うことになりますが、この運動の統一性を確保し、運動の継続に必要な推進力を与えたのはジョン・ウェスレーでした。
幼い頃のウェスレーの家庭環境は、彼自身と世界の両方にとって霊的な利益をもたらしました。彼の母親は、厳格な規律を守る母でした。子育てに関する彼女自身の言葉からもそれがわかります。
1歳になると、彼ら(スザンナ・ウェスレーの子供たち)は懲らしめのむちによって尊敬を習いました。静かに泣くように教えられた結果として、子供のうるさい泣き声という最も不快な騒音が家の中で聞かれる ことはほとんどなかくて、懲らしめが必要というときも少なく なった。
オックスフォードのリンカーン大学在学中、ウェスレーは「ホーリー・クラブ」(きよい会)に入会しました。このクラブは、神を知り、神のために世と分離した生き方を送ることを真剣に望んでいた若者たちによって構成されていました。これを達成するために、彼らは純粋な心を獲得し、維持するために組織的に努力し、彼らはキリスト者の完全を目指しました。毎日のディボーションで、ホーリークラブの会員に投げかけられた質問の一例は以下の通りです。:「私は服装、友人、仕事、または習慣の奴隷ですか?今日、聖書は私の中に生きていますか?使うお金について祈っていますか?神に背いている事はないですか?キリストのご臨在を感じますか?」これらの質問は率直で心を探られるものでしたが、その目的は、神に対して心を開き、お互いの前で厳格な説明責任を果たすことによって、霊的な純粋性を保つことにあります。
ウェスレーは、インディアンへの宣教活動に従事するためにイギリスからジョージア州へ航海中の活動に見られるように、日々の規律に注意を払っていました。毎朝4時から5時まで個人的な祈りをし、その後5時から7時までが聖書を読む時間でした。 7時に朝食をとり、 8時に公の祈りが始まります。ウェスレーはいつも、9時から12時までドイツ語とギリシャ語を勉強し、正午になるとそれを中断し、他の人たちと会い、前回の会合以降に何をしたか、そして再び会う前に何を予定しているかを伝えました。午後 1 時ごろ、彼は食事をし、その後 3 時間,、船内の乗客に本を読んで聞かせた。 4時からは、夕方の公の祈りを捧げ、その後5時から6時まで 私的な祈りを捧げた。彼は7時にドイツ人の集会に出席し、8時に再び他の人々と集まり、勧め、指導した。彼の一日は神に対する規律ある献身的な義務に満ちていました。
しかし、このアメリカへの航海中ウェスレーは、モラビア兄弟団の聖徒たちから信仰の第一原則を教えらることになります。この航海で、
神は彼らの帆船に荒れ狂う波が船体に打ちつけるのを許し、波は甲板を埋め尽くし、主帆は粉々に砕かれ、船上にいた人は皆、死を覚悟した。英国人のウェスレーは恐怖を感じたが、ドイツ人たちは、危険な中でも平静を保っていたことに気づいた。後日、彼はモラビア人に「あなた方は恐ろしくなかったのですか?」と尋ねた。彼らは 「いいえ。神に感謝します。」と答えた。この出来事は、ウェスレーに大きな衝撃を与えました。ウェスレーはモラビア人の牧師を捜し出し、彼と相談した。その牧師はこのオックスフォード・ホーリー・クラブの厳しい指導員の心を探った。スパンジェンバーグ牧師は 「兄弟よ、まず一つか二つ質問しなければなりません。あなたはうちなる証しを持っていますか?神の御霊はあなたの霊とともに、あなたが神の子であることを証ししていますか?」スパンゲンバーグはウェスレーが戸惑っている様子を見てこう続けた。 「あなたは、イエス・キリストを知っていますか?」ウェスレーは「彼が世界の主で、救い主であることを知っています。」と言った。 「そのとおり」とスパンジェンバーグも同意した。「しかし、彼があなたを救ってくれたことを知っていますか?」 「彼が、私を救うために死んだことを願っていますが」とウェスレーは答えた。ウェスレーは、たとえそれを喜んでいなくても、この思いやりのある牧師の実直さに感謝せざるを得なかった。ここには、彼の目を見つめ、魂の奥深くまで声を響かせる力量を持った男がいた。 「あなたは、イエスがあなたを救ったことを知っていますか?」ウェスレーは「知っています。」と答えた。しかし、彼は日誌のなかで「それは空しい言葉ではなかったかを恐れる。」と書いている。
モラビア人と出会えたこの航海は、どの船旅よりも実り多いものとなった。ウェスレーは、天国の門の内側を見るのに、規則や読書、規律だけでは十分ではないと悟ったのです。
ジョージア州での宣教経験の後、ウェスレーは次のような言葉を残しています。
ジョージア州のインディアンたちにキリスト教の本質を教えるために、祖国を離れてから、もう2年と4ヶ月に なろうとしている。その間に私自身は何を学んだかというと、私が最も疑っていなかったことだが、他人を救う ためにアメリカに行った私自身が救われていなかったことである。
ウェスレーがまだ体験していない救いがあることを少しづつ認識していた証拠は、数年後に彼が説教した「ほぼクリスチャン」と題されたメッセージに現れています。神を喜ばせたいという心からの願いについて、彼はこう書いています。
この場所にいる多くの人が証言できるように、私は長年にわたってこのように生きてきた。注意深くあらゆる 悪を避け、罪を犯さない良心を保つこと、時間を有効に活用すること、すべての人に善いことをしようと努め ること、あらゆる私的な恵みの手段を絶えず注意深く使用すること、いつでもどこでも、着実に真剣な行動 を心がけること、そして神は私の記録者であり、私は神の前にこれらすべてを誠実に行っていた。神に仕える という本当の願いを持っていた。そして、すべてのことにおいて神の御心を行いたいという心からの願いもあっ た。「信仰の戦いを立派に戦い、永遠の命を獲得しなさい」と私に呼びかけてくださった神を喜ばせるために。しかし、私がこれまでずっと「ほぼクリスチャン」にすぎなかったということを、私自身の良心が聖霊によって 証言している。
強靱な肉体と厳格な規律を持ったウェスレーは、個人的な救いを求める子供のような信仰を持つことが、つまずきとなることに気づいた。やがて、彼の霊的なリアリティーへの願いは叶えられ、1738 年5 月 24 日、彼が「アルダスゲート経験」と呼ぶものによって、彼の心に確信がもたらされた。
夕方、私は非常に気が進まなかったけれども、アルダスゲート町にあるモラビア派の集会に行った。そこでは、 ローマ人への手紙のルターの序文が読まれていた。午後9時15分頃、キリストへの信仰によって神が心に 起こされる変化について読まれているとき、私は自分の心が不思議に燃えるのを感じた。 そして、キリストが私の罪さえも取り去り、罪と死の律法から私を救ってくださったという確信が与えられた。
メソジズムの創始者はついに魂の安息を見つけたのです。ウェスレーの人類に対する最大の貢献は、「クリスチャンの完全」を明確に教えたことでした。彼は自分の教団にアルミニウス神学の強固な基盤を確立しました。瞬間的な救いの経験を通して、信仰による義認を強調し、回心後には信仰の行為によってもたらされる恵みの業があり、それによってたましいが原罪から救われることができると教えたのです。多くの批評家の意見とは異なり、ウェスレーは決して罪のない
完璧さや間違いのない完全を教えず、むしろ生来の罪から聖められた心からくる動機の純粋さを教えたのです。
ジョン・ウェスレーとメソジストの良き友人であるジョージ・ホイットフィールドを分けたのは、この神学的違いでした。ジョナサン・エドワードの説教はホイットフィールドの考え方に大きな影響を与え、やがてホイットフィールドはカルヴァン主義の教義を受け入れるようになった。ウェスレーとホイットフィールドは真剣にこの問題について議論したが、どちらも自分の立場から動かなかった。ウェスレーはジェームズ・アルミニウスの教えを支持し、ホイットフィールドはジョン・カルヴァンの信条に固執した。悲しいことに、ホイットフィールドは、「カルヴァン主義的メソジズム」という新しい用語が宗教用語集に登場するほどに、自分の奉仕活動に予定説(選び)を加えた。
神はジョン・ウェスレーに上からの力と油注ぎを与え、卓越した組織力を彼に与えました。メソジズムは、この人によって整えられた霊的な基礎を通じて、世界中で義を進める力となった。彼は改宗者を育てる事に優れていた。ある人は「ウェスレーは大衆に影響を与えただけでなく、その中から何千人のリーダーを育てた。」と言いました。
15. 「自由意志とカルヴァン主義とアルミニウス主義」 討論問題 (復習)
1. ジョン・ウェスレーの回心の話で、何か印象に残ったことはありますか?
2. 私たちは、人間は霊的な事柄において自由意志を持っていると信じていますか?
3. 人間は救われるために神と協力しなければなりませんか?それとも、神の主権によってのみ達成されるものなのでしょうか?
4. 聖書は、私たちが救われるために何をしなければならないと教えていますか?
5. 人が救われたままでいるためには、神と人の間に協力が必要だと信じていますか?
6. なぜ神はすべての人を本質的に善良に創られなかったのですか?人々が神に反抗する可能性が高いことを知っていたにもかかわらず、なぜ神は私たちに自由意志を与えたのですか?
7. カルヴァン主義では、神のどの属性が最も強調されていますか?
8. アルミニウス主義では、神のどの属性が最も強調されていますか?
9. 神は私たちを地獄の死から救うために十字架で亡くなりましたが、他に何から私たちを救いたいですか?