2025年6月1日~約1年でキリスト教入門・神学コースで学んでいきたいと思います。只毎回集いたいのに集えない学びたいけど1年間を通すとなれば~???と思う方朗報です!この度HPから見たり聴いたりすることが可能になりました。数年後あ!こんな話してたよねって振り返えり誰かの力になることもあると思います。
第1回クリスチャンとは(原稿だけは英語ファイル日本語ファイルがありますがワークシートや読書宿題は日本語のワード掲載にしています。ですのでワークシート・読書宿題はダウンロード無しで印刷可能です)
1.「クリスチャンとは」 ワークシート
1.使徒の働き11:26にある「キリスト者」の元の言語ギリシャ語とその文字通り意味を書いてください。
2.自分の言葉で「クリスチャン」という表現を説明してください。
3.すべての真のクリスチャンにある2つの特徴を書いてください。
読書宿題
1.ヨハネの福音書 3:1~21 の内容を1段落で要約してください。
2.マタイ7:15~27 この個所の要点を書いてください。
3. 次のページの証しを読んで印象に残ったことを書いてください。
「私を変えた愛」 (婦人たちのキリスト体験集)福音出版社
松本敏子 (広島)
私がイエス様に従う前は、偶像も仏様も、神社もすべてを拝んでいました。ご先祖様をお守りし、ご先祖様に手を合わせ、人間は人に迷惑をかけないで真面目に生きてゆけばそれでよい、と考えていましたが、今から考えれば大変思い上がったわがままな自分でありました。
そのような私が教会に足を運ぶようになり、聖書のみ言葉を聞く内に罪ということに胸を打たれ、イエス様は本当に私の罪のために十字架で死んで下さったということを信じたのです。
実はこの恵みを与えられるためには、一粒の麦として死んだ息子の祈りがあったのです。今から十三年前の九月、息子は自動車事故のため、重傷を負いました。苦しい痛みの中で「お母さん、心配せんでいいよ。イエス様を信じてね。」と言いながら三十二才の息子のこれが最後の言葉となりました。その言葉は私の耳に、又心に焼きついて拭い去ることが出来ません。
しかし家の中には仏様があり、それについての様々なつながりがあって、私は気持ちの切り換えが出来ず、長い間苦しみました。
悶々としながら、八年という長い間苦しみました。そのような中で、私は遂に悔い改め神様のお言葉に素直に従おう、そして主イエス・キリストを受け入れよう、と決心出来た時、私の胸の中はもつれた糸が糸口を見出したような気が致しました。
1982年5月23日、私は洗礼を受けたのです。この日は召天者(天国に行った方々)記念礼拝の日でもありました。息子はこの日をどんなにか待っていて喜んでくれたか、天の賛美が聞こえるようでした。講壇のうしろには微笑む息子の写真がありました。イエス・キリストに接ぎ木されて、新しい生命を与えられ、神の子として頂いた恵みを感謝いたします。私はこの日を忘れることは出来ません。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ1・28)と主が言われたように、私の肩の荷はこの時から下ろされて、暗きから光へと変えられました。
イエス様が私の内にいて下さり、共におられる恵みを感謝しつつ、祈りの日々を送りたいと願っています。
息子を偲ぶ時、彼の口癖でありましたルカ10・11のみ言葉をいつも思い出します。「無くてならぬものは多くはない。いや一つだけです。」
真実な主の御名を賛美致します。その時幼なかった息子の子供たちも、今は立派に成長し、日曜日には教会に出席して礼拝を守り、共に主をほめ讃えています。