あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。詩篇8:3~4

 

 

 

私は、27歳の時に、イエスさまを自分の罪からの救い主として信じて救われ、洗礼の恵みにもあずかることができました。

 

救われるまでの経緯を振り返ってみると確かに、神さまは、私が神さまを知らなかった時から、いいえ、みことばにあるように世界の基の置かれる前から私を選び(エペソ1:4)神さまを信じる者になるように導いて下さいました。

 

 

 

小学校に入学する前の幼い頃には、家の近くに米留住宅の一室を教会としていたところがあり、おそらく、アメリカの宣教師だったと思いますが、よく家の前をニコニコと流暢な日本語で冗談を言いながら通っていたりしました。私は日曜日になると時々、子供の集会に行き、ぬり絵をしたり、お菓子をもらったりした事を覚えています。そして、沢山の子供達がいたことも記憶しています。また、バプテストの教会が運営している保育園にも通っていたのですが、クリスマスには降誕劇をしたり、賛美歌を歌ったりしていました。私の両親はクリスチャンではありませんでしたが、幼い頃から日常生活の中で知らず知らずのうちに神さまは私に触れていて下さっていたのです。

 

 

 

小学校高学年頃になると、死への恐怖というものが強くなった時期がありました。自分が死ぬという事よりも、愛する人を失う恐怖が強く、特に母親を失う事の恐怖は、私を何かに祈るようにさせたり、験を担ぐようにさせたりしました。

 

 

 

そのような中で「愛」って何だろうと考えることがありました。「愛」ってその人の為なら死んでもいい・・と思うことかな? 私は家族を愛しているけど・・もし家族の誰かが病気になって、私の命と引き換えにその人を助けてあげると言われたら?・・かあさんにだったら私の命と引き換えても惜しくはないけど・・・他の家族には?できないかもしれない・・じゃあ私は家族を愛していないのかな?・・などと考えたりしました。

 

 

 

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません。(ヨハネ15:13)

 

私のために命さえ死に渡された方がいるという事を知ることになるのは、それからずっと後になってからの事でした。 

 

 

 

高校を卒業して、長崎のミッション系の短大に進学するまで、真の神さまとは無縁の少女時代を過ごしました。

 

短大の入学式の日に聖書と賛美歌を買いました。これが私が初めて聖書を手に取った日でした。

 

短大では、週一回の礼拝があり、寮でも毎週礼拝がありました。賛美歌は大好きでした。学長や、教授のお話は今となっては覚えていませんが、先生方の優しさや、穏やかさは今でも心に残っています。

 

 

 

寮の入り口の大きな壁に、ブドウの綺麗な絵と共に「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝です。 ヨハネ15の5」と書いてありました。初めて出会ったみ言葉でした。毎日目にするそのみ言葉でしたが、私は、それが何を意味するのか、誰の言葉なのか興味を持って考えることもありませんでした。

 

寮で、特に親しくなった友人がいましたが、彼女はクリスチャンでした。日曜日に彼女が教会に行くと言うので、暇な私は、教会の後、街をぶらぶらすることをお目当てに、一緒に行くようになりました。ほとんど毎週礼拝に出て説教を聞いていました。ある日、自分でも分からないのですが、涙が溢れて止まらないという経験をしました。涙の理由はもう忘れてしまいましたが、神さまが、確かに触れてくださったのだと思います。

 

卒業し、沖縄に帰ってきて就職しました。会社の看護師さんがクリスチャンでした。家も近く、親しくなり、彼女の通っている教会に時々行くようになりました。しかし、私には神さまへの飢え渇きというものがありませんでした。でもなぜ教会へ行っていたのか自分でも不思議でした。そのような状態で月日は流れました。

 

 

 

24,5歳になった頃、将来への漠然とした不安や、虚しさがありました。「私は、もう立派な大人なのに、確信がない。善悪の判断は何に基づいてするのか?私の判断?いや違う。私は正しくない。絶対に揺るがない真実とは何のだろう?揺るがない真実というものがあるなら私はそれに寄りかかりたい」と思いました。

 

それから、しばらくして、アメリカからの宣教師と共に聖書を学び始めました。福音書を通してイエスさまと、その御言葉を考え自問自答しました。教会でクリスチャンの方々の愛に触れ、私は、イエスさまを自分の罪からの救い主、私が頼ることのできる真実そのもののお方として、信じる決心をしました。

 

 

 

神さまは実に、私の人生に切れ目なく働き人を送って下さいました。そして、私の知らないところで、私が救われるようにと祈っていてくれた、神さまに忠実な兄弟姉妹がいたのです。

 

ただ、神さまが救って下さいました。神さまの御名がほめたたえられますように。

             U・S(豊見城教会)